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発言して後悔をしないための3秒ルールならぬ24時間ルール

早とちりとはよくあるもの。

焦る気持ちと感情的な気持ちとが交錯して、思わず勢いそのままに発言や主張をした経験はないでしょうか?

その場での発言でなくてもメールで送ったりすることも同様です。

大体一晩経って考えなおしてみると、言わなければよかった。と思うことも多いはず。

 

自分もよくやったものです。

納得がいかないことがあると居ても立ってもいられなくなりメールを上司に打ったり。部下を呼んで叱ったり。

 

大体翌日には後悔の念が押し寄せてきます。

 

この痛ましい経験を糧に今実践していることがあります。

それが24時間ルールです。

 

まず勢いそのままに言いたいこと主張したいことがあったらメールを書きます。

一心不乱に書いていざ送信!

は、せずに草稿に入れておきます。24時間後にもしそれでも送る必要があれば送る。

必要がなければ削除です。

自分の場合は今のところ100%削除になってます。

 

結局、感情が入るとどうしても主観的になってしまい、客観性に欠けます。

少し冷静になって客観的に見返してみれば、なんと幼稚なことをメールに書いているのかに気づくはずです。

言いたいことを感情のまま言い散らかし、後悔する前に一晩寝かしてからでも遅くないのでは?



怒ることを辞めようと決心した日(※どうでもいい話)

たぶん、学生時代のキレキャラ度は海○蔵氏とタメを張っていたと思う。

もし彼と学生時代に知り合っていたら、今頃彼は病院で寝たきりになっていたに違いない。

彼と知り合いの人がいたら伝えてほしい。俺と出会わないで命拾いしたねって。

 

小さい頃、親父からは親父が学生時代に無期停学になった話を面白おかしく聞かされていた。

幼心にも自分はそんなことにはなるまいと笑い飛ばしていたが、振り返ってみたら謹慎3回を経験したことに気づいた。

 

俺のせいじゃない。これは遺伝だ。親父が悪いんだ。

とりあえず退学にならなくて良かった。

 

1回目の謹慎の時には反省文を感動的に描いてみた。

校長は親の前で「君なら大丈夫だ!」と涙しながら言ってくれた。

まさか数カ月後にまた校長の前に親を連れて行くことになるとも知らずに。

 

俺のせいじゃない。夏目漱石も驚くぐらいの文才を与えた神様が悪い。

校長の毛が薄くなってきたのは確かこの頃からだと思う。

 

そんな破天荒な学生時代を謳歌していたが、そろそろ卒業も近づき少しぐらいは先生に見直される結果をだそうと思った。

成績は普通だったからテストでNo1になるのは無理だと思ったので、運動で結果を出すしかなかった。

マラソン大会で1位を取ろう。

そう決心して、練習を大会の3ヶ月前から始めた。

週に3回、1回あたり15キロは走っていたと思う。

受験勉強やら何やらで、運動をしていない同級生たちに勝つのはそんな難しくなかった。

約18キロのマラソン大会。1時間10分ぐらいで走りきって順位は当然、学年1位。

先生も相当驚いていたと思う。

有終の美を飾れたかに思えた。

最後の通知表を見て愕然とした。体育だけは3年間ずっと最高評価の5を取ってきたのに、

マラソン大会で1位を取った最後の学期だけ、4をつけられたのだ。

職員室に乗り込んで怒り狂って怒鳴りちらしてやった。

 

俺のせいじゃない。優等生過ぎる俺をひがんだ器の小さい先生が悪い。

 

そして卒業。

しかし、俺は学校にみんなより2週間長く通い続けた。

日頃お世話になったことを思い出したら居たたまれなくなり、朝から昼まで掃除をしたのだ。

誰もいない廊下。チャイムがなると後輩たちが、なんで居るの的な目で見てくる。

噂は拡がり、最後のテストでカンニングして謹慎になったことがばれてしまった。

そう、掃除は謹慎の罰。2週間みんな卒業して休みに入っている中、掃除のため登校したのだ。

 

なんとも格好悪すぎる。

今ではネタだが、思い返せば怒ったり悪さしたりで良い思いをした覚えがない。

自分だけならまだしも身近な人まで悲しませたり、がっかりさせたり、痛い思いをさせたりと被害が拡がる。

傷つけた分はまた自分に返ってくる。関係のない人にまで影響をする。

そんなままで大人になっては、どれだけの人を不幸にしてしまうのか恐ろしくなった。

 

人のせいにして怒るのはもう辞めよう。

全部自分のせいにしよう。

 

この瞬間から、俺は仏の域に達したと思う。

優しさの象徴でもあるマザーテレサも論を説く孔子も、怒らない経営で有名な松下幸之助も、

俺と同じ時代に生まれていたら、彼らが有名になることはなかっただろう。

もはや仏のごとく自分を崇拝していたに違いない。

 

酔いつぶれたおっさんが電車で俺の肩に頭を乗せてきても、ウェルカム。

満員電車で足を思いっきり踏みつけられてもなんとも思わない。

スペイン人に殴られてもいい思い出に変換できる。

 

見える世界が変わった。

今までは結果を出しても評価されなかったが、結果を出さなくても信頼してもらえるようになった。

仕事でもお客様から、あなたとやりたい。と言ってもらえるようになった。

ありがとう。と言われる機会も多くなった。

すべては怒りと決別したときから好転したのだ。

拝啓

海○蔵さん。

学生時代のまま大人になっていたら、きっとあなたが飾った一面は自分が占領していたことでしょう。

敬具

しかし、怒りと決別しても、大人しくいたいとは思わない。

普通でいたくないと思う心は変わらず持ち続けたいもの。

だからこれからも49歳まではスケボーで会社に通い続けようと思う。

50歳からはちょっと衰えを考えてキックボードにしておく。

 

・・・たまにはどうでもいい話。

 



後悔には良い後悔と悪い後悔がある

事が終わった後でいくら悔やんでも、手遅れで取り返しはつかない様を「後悔先に立たず」と言います。

この後悔は何かをした結果が、自分の期待値に伴わなかったときに表れる感情です。

例えば野球の試合で負けて悔やんでいる様は、まさしく後悔先に立たず。

もっと練習しておけば良かったと悔やんでも手遅れということです。

 

しかしこれは良い後悔だと思います。

何かに挑戦したからこそ生まれる感情なのですから、きっと後悔を糧に次の挑戦へと踏み出せるきっかけとなります。

 

逆に悪い後悔とは、何も事を起こさず、最初から諦めてしまうことです。

「後悔後に立たず」

そんな言葉は存在しませんが、何も挑戦しなかったことに対して後になって後悔することは最も価値のない後悔です。

 

あきらめたらそこで試合終了ですよ・・・?(スラムダンク)

安西先生もお叱りです。

 

挑戦すること、挑戦し続けること。

挑戦したことに対しての後悔であれば必ず身になります。

 

後悔を恐れてアクションすることから逃げていたら、後悔後に立たず。

 

きっと気づかないだけで似たようなシチュエーションは身近にもたくさんあると思います。

デートの誘い然り、告白然り、親への孝行然り。

 

もちろん自分も「後悔後に立たず。」を幾度と経験してますが、そこから得たものは皆無です。

逆に当たって砕けろ!の覚悟でアクションを起こしたことに対しては奇跡が起こることを知りました。

 

歳をとった自分を想像して、孫に自分はどんな話をしているのだろう。

後悔の話だろうか、奇跡の話だろうか。