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ふと人生について考えることがあったので、つぶやいてみる。

人生で本気になれることは本当に少ない。

学生時代は部活や文化祭や体育祭とかで誰しも一度は何かに本気になったことはあるはず。

時間もお金も関係なく夢中になっていたと思う。

 

社会人になってそれができている人はどれだけいるのだろう。

我武者羅という言葉が好きだ。

そんな人生はきっと大変だろうけれど、意義のある人生だ。

 

別に有名になりたいわけでもない。自我のためでもない。

そうしなければいけないと未来の自分が言ってる気がしてならない。

でないと後悔しか残らない気がする。

 

十人十色の人生がある。

その一方で一人十色の人生もあると思う。

 

全てに本気で、全てに前向きで、誰かより10倍の挑戦ができれば、10倍濃厚な人生になるはずだ。

 

境遇や環境に悲観的になって何も行動を取らない人がいる。

そんな事を言ったら極端だが、豊臣秀吉やリンカーン、ガンジーなど偉人たちは存在していない。

悲観的になる必要なんて何もない。

軽率かもしれないが同じ地球に存在している以上、境遇なんて大差ない。

 

敵がいるとしたら自分自身だけだ。

そんな言葉を聞いたことがある。

周りを敵だと思ったら敵しか出来ないし、周りを見方だと思ったら見方しかできない。

敵味方作るも自分の思考と行動次第だ。

 

夢はあるのかい?

そう聞かれたら真っ先に言おう。

 

夢?漫画の見過ぎだろ。

 

希望はあるのかい?

そう聞かれたら真っ先に言い返そう。

 

周りを見てどうしたら希望が持てるんだ?

 

じゃあ何のために生きてるんだい?

そう聞かれたら真っ先に答えよう。

 

不幸に生きたいと思ってる気狂いがどこにいるんだ?

 

何も夢や希望を無理に見出す必要はないと思う。

もっと大事なのは、今自分ができる最良の選択と行動をとること。

今自分がやりたいことに夢中になることだけだ。

 

それが出来ないとしたらやはり自分自身が敵になっている。

まず自分を味方につけよう。

 

何も難しいことなんてない。

自分に素直に従えばいいだけだ。

 

誰かに語れる夢はないし、今まで残してきたものもない。

学歴なんて無いに等しいが、そんな自分でもエキサイティングでハッピーな人生を送れるというのは証明したい。

それは努力とか競争とかでなく、もっと楽しいものだと。



人生こんなはずじゃなかったのに・・・。人生後悔しないための羅針盤

いくらあとになって嘆いても嘆き切れないのが人生です。

人生を振り返った時、「こんなはずじゃなかったのに・・・」と思ってしまう人生だけは送りたくないものです。

 

誰もが「良い人生とは?」という問いかけをしますが、

あえて私は自分にとって「嫌な人生とは?」という問いかけをするようにしています。

何故ならば、「良い人生」とは限りがなく、答えのないものを永遠追い続けることになるからです。

適うかも分からない人生ばかりを追っていては適わなかった時の脱力感ときたらこの上ないでしょう。

 

逆に、嫌な人生は明確に答えが出ます。

私が思う嫌な人生は大枠3つです。

 

今日が早く終わって欲しいと思って生きる人生

つまらない仕事なり、暇な時間であったり、今日という日を早く終わって欲しいと思って生きることは、

早く人生が終わって欲しいと願っていることとそう違いありません。

一日一日が本気な人生でありたいものです。

 

いつか最良の日が来ると思って生きる人生

今頑張ればいつか最高の日が訪れる。今我慢すればいつかきっと良くなる。と信じてやまない人が結構いたりします。

待ち続けていつの間にか人生終盤を迎えてしまうようでは後悔の念しか残りません。

いつ来るやもしれない「いつか」に賭けるほどギャンブルな人生ではなく、いつでもどこでも誰とでも幸せを感じる日々を過ごしたいものです。

 

過去が最高だったと執着して生きる人生

栄光に縛られ栄光に生きることは独り善がりの寂しい人生です。

昔に囚われて生きようが、今を謳歌して生きようが、それは自分の気持ちひとつで変えられます。

若いころのように派手に生きることが栄光ではありません。

環境や時代、歳によって生き方も変わってくるのですから昔と比べて派手かどうかではなく、楽しいかどうか、充足しているかどうかなど違った尺度で今を謳歌したいものです。

 

 

「自分にとっての嫌な人生」を定義すると、それが人生の羅針盤となります。

1週間のうち早く明日にならないかなぁ。週末にならないかなぁ。と思う日々が続いたとしたら、それは自分にとって「嫌な人生」を歩んでしまっていることになります。

そんな時に羅針盤が人生の方角を間違えていることを知らせてくれるでしょう。

 

最高の人生を望遠鏡越しに見ながら目指すのもいいですが、遠い彼方ばかりに執着して目先にある大きな渦に気づかず突っ込んでしまうかもしれません。

まずは最低限、方角を間違えぬよう自身の羅針盤を持ってからでも遅くないのではないでしょうか。



その生き方をロールプレイングゲームにしてみたら・・・

ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなど男であれば、大抵の人が夢中になった名作です。

何故あんなにも売れるのかは、やはり「冒険」という非現実的な世界がそこにあるからのように思います。

誰もが勇者に憧れて、勇者のように讃えられ、賞賛されることを口には出さずとも潜在的な意識の中で持っているのでしょう。

 

小さい子供は素直です。

戦隊ものに憧れて、あたかも自分がヒーローであるかのように真似てみたりするものです。

大人になると何故かヒーローに憧れることが「恥ずかしい」こととして捉えられているように思えて仕方がありません。

自分の生き方がヒーローでないとしたら一体どんなキャラクター設定か、ロールプレイングゲームに当てはめて考えてみると意外と残念なキャラクターかもしれませんね。

 

自分が主人公だとして、自分の生き方をロールプレイングゲームにしてみたらどんな物語になりますか?

ロールプレイングゲーム

街をぶらついている人が主人公だった場合

今日も一日中外で散歩。

お、何か光るものが落ちているぞ!5ギルゲットした!ラッキー♪

再びぶらついているといじめられている子供を発見。

すかさずいじめっ子を懲らしめてやった。

経験値1上がり、いじめられっ子の親から謝礼をゲット!10ギル。

昼も過ぎたので近くのカフェで休憩。HP3回復。-5ギル

庭の水やりをやっているとさっきのいじめっ子が後ろからなんとカンチョウをしてきた。

無防備のためHP5消耗。

あまりの痛さにベットで休息・・・・・・・・・・・・。

そもそもクリアがどこか検討もつきませんが、このロールプレイングゲームのエンディングロールにはどんな絵が映るのでしょう。

その街で過ごした思い出、日々変わらぬ日常、安息の人生。

決して悪いものではないと思います。

 

ですが、このゲームが爆発的に売れることはありません。

つまり、何が言いたいかというと、勇者を目指さない限り、勇者のようなエキサイティングでワクワクするような日常は送れないということです。

ロールプレイングの主人公が自分だとして、どちらのストーリーを歩みたいですか?

勇者なのか、街を延々とぶらぶらする人なのか。

両極端過ぎますが、ゲームであれば勇者の物語を歩みたいと思う人のほうが圧倒的だと思います。

それが現実世界となると、急に逆転します。

大半が街をぶらつく人の物語と何ら変わらない道を歩んでしまっているかもしれません。

 

世間は狭いとよく言いますが、逆を言えば狭い世間しか知らないということです。

勇者は変化を受け入れ、自ら変化を求めます。

進化すれば、持つ武器も変わり、倒す相手も変わってきます。

そうやって自分が進化していくことでステージが変わり、新しい世界を見ることができるんですね。

 

勇者を夢見て旅することは決して恥ずかしいことでも無謀なことでもないと思います。

最近挑戦したことは何かあるだろうか。

過去に成し遂げた壮大なことはあっただろうか。

レベルアップしているだろうか。

何よりもこれから何を成し遂げたいのだろうか。

勇者とまでは行かずともどうせなら、自分が主人公のゲームを少しでも楽しいゲームに出来るように、

レッツ、ライフスタイルプラン!

 

・・・ですね。