肝の据わらせ方。~時代や環境、人に流されないために~
どんな人になりたいですか?そう問われたらきっと「肝の据わった人になりたい。」
私はそう答えます。
肝の据わった人というのは頭の良い人のことを言うのではありません。
沈着冷静な人ともまた違います。
はたまた度胸がありチャレンジを恐れない人とも違います。
時代や物事を変わらぬ視点で客観的に捉えられる人のことです。
まるで100年そびえ立っている木々のように、雨風に立ち向かうわけでもなく、受け入れないわけでもなく、
うまくすり抜けさせて堂々とそびえ立つ。
根を張り幹を太く、枝先を長く上へ上へと根ざしている大木の様。
日々変わりゆく環境の中、何も変わらず。
そんなイメージでしょうか。
常に本質を理解し、どんな環境でもどんな状況でも焦ることも怠けることもなく、やるべきことに最善を尽くします。
周りに何を言われようと折れることなく、かと言って聞く耳はいつもオープンで、自分を見失うことはありません。
人は危機や緊張の中にあると、どんな平静を装っても、目が游いだり、癖が出たりと、どうしても表に出てしまいます。
しかしながら肝の据わった人というのは、一切動揺しません。
大木に蹴りを入れようがツバを吐こうが、罵声を浴びせようが何も変わらないように、その人はビクともしないのです。
どうしたらそんな人になれるのでしょうか?
どんな理論よりも、どんなスキルよりも、どんな知識よりも、教えてもらえるのであれば、「肝の据わらせ方」を教えて頂きたい。
今の時代を生き抜くために、あると良いものはたくさんあります。
語学力、マネジメント力、マーケティング力、コミュニケーション力・・・・。
ただ必要なものと聞かれたら、やっぱり「木(肝)」だと思います。
スキルはあくまで木の先に成る実や花です。
そもそも木もなければ実を持つことさえできません。
やせ細った木に実らせたとしてもそれは一時しのぎにしかなりません。
温室育ちの実は、食べられて終わる人生でしか無いのです。
私が「肝」というものを意識したのは3年前ぐらいでしょうか。
若くして肝の据わった人を目の前にした時です。
彼に言われたのは、「目が游いじゃってますよ。」
この一言から、常に自分自身を客観視するようになりました。
目が游いでないか、緊張してないか、焦ってないか・・・。
意識するようになってからは徐々に自分自身をコントロールできるようになりました。
この数年で常々思うのは、環境や他人を変化させることはできないということです。
ただ自分自身は変化させることもコントロールすることもできるのです。
「肝の据わらせ方」という本質はまだまだ分かったとは言えませんが、いくつかのヒントはあります。
- 自分自身をコントロールできること
- 環境や人にコントロールされないこと
- 常に周りを見て本質でものごとを考えていること
誰もが時代の不安定さからか、スキルや知識を学ぼうと必死です。
たとえスキルや知識を得たとしても時代の変化や求められるものによって常に不安定な環境からは逃れられません。
どんな時代にも唯一通用するものがあるとしたら、自分自身が大木に成ることだと思います。
知に足を付け、根差し、変化を客観的に見極められる力です。
一度巨木を見に行ってみて下さい。
言葉では言い表せない、何かを感じることができるはずです。
植林よりも巨木でありたいと思うのであればなおさらに「肝の据わらせ方」を考えてみてはいかがでしょうか。