人としての器がでかくなる方法!たったひとつの簡単なコツ

器の小さい人もいれば器のでかい人もいる。

ただそれの違いを明確に答えられる人はそういない。

寛容であることだろうか。優しいことだろうか。

 

色々と見解はあると思うが、一つ私なりの答えとして先にお伝えすると、誰もが器を大きくすることが出来る。

それは感情だとか、心の広さとかではなく、必要なのはほんの少しの知性だけだ。

 

もし今よりも器をでかくしたいと思うのであれば、

是非これからお伝えするたった一つのコツを意識して欲しい。

きっとこの思考が常に働くようになれば、随分と器がでかくなるはず。

 

綿密に計画したバーベキュー企画をドタキャンされてパーになった。

あなたは怒るだろうか?

それとも感情を押し殺して許すだろうか?

器のでかさで考えれば後者のように思うかもしれない。

しかし前述の「知性」という観点から考えると、どちらも間違いだ。

 

感情を抑えることはもっての外。もっと深層から思考を変える必要がある。

感情を抑えることは自分にとってストレスになるだけ。

 

もっと深層の思考とは、何か。

それは、「どうしたらハッピーな人を最大化できるか?」と考えることだ。

 

ドタキャンされたことに対して怒って誰がハッピーになるのだろうか?

相手も自分も不幸にしかならないだろう。

ドタキャンされたことに対して2人がハッピーになることは難しいかもしれないが、少なからずドタキャンを笑顔で許すことで相手はハッピーになる。

 

左脳的に考えよう。

2人が不幸になる方が客観的に見て合理的か?

1人は不幸になるかもしれないが1人は幸せになる方が合理的か?

 

ここに感情は一切必要ない。

感情を入れるからストレスになるし、気疲れしてしまう。

もっとシンプルに客観的であり合理的に捉えれば良い。

 

これは感情でなく、知性だ。

 

この思考は決して心が広くなくとも少しだけ知性的な人であれば誰でも実践できる。

今自分がどう反応すれば合理的にハッピーな人を最大化できるか。

単純な公式を解くだけの話だ。


ふと人生について考えることがあったので、つぶやいてみる。

人生で本気になれることは本当に少ない。

学生時代は部活や文化祭や体育祭とかで誰しも一度は何かに本気になったことはあるはず。

時間もお金も関係なく夢中になっていたと思う。

 

社会人になってそれができている人はどれだけいるのだろう。

我武者羅という言葉が好きだ。

そんな人生はきっと大変だろうけれど、意義のある人生だ。

 

別に有名になりたいわけでもない。自我のためでもない。

そうしなければいけないと未来の自分が言ってる気がしてならない。

でないと後悔しか残らない気がする。

 

十人十色の人生がある。

その一方で一人十色の人生もあると思う。

 

全てに本気で、全てに前向きで、誰かより10倍の挑戦ができれば、10倍濃厚な人生になるはずだ。

 

境遇や環境に悲観的になって何も行動を取らない人がいる。

そんな事を言ったら極端だが、豊臣秀吉やリンカーン、ガンジーなど偉人たちは存在していない。

悲観的になる必要なんて何もない。

軽率かもしれないが同じ地球に存在している以上、境遇なんて大差ない。

 

敵がいるとしたら自分自身だけだ。

そんな言葉を聞いたことがある。

周りを敵だと思ったら敵しか出来ないし、周りを見方だと思ったら見方しかできない。

敵味方作るも自分の思考と行動次第だ。

 

夢はあるのかい?

そう聞かれたら真っ先に言おう。

 

夢?漫画の見過ぎだろ。

 

希望はあるのかい?

そう聞かれたら真っ先に言い返そう。

 

周りを見てどうしたら希望が持てるんだ?

 

じゃあ何のために生きてるんだい?

そう聞かれたら真っ先に答えよう。

 

不幸に生きたいと思ってる気狂いがどこにいるんだ?

 

何も夢や希望を無理に見出す必要はないと思う。

もっと大事なのは、今自分ができる最良の選択と行動をとること。

今自分がやりたいことに夢中になることだけだ。

 

それが出来ないとしたらやはり自分自身が敵になっている。

まず自分を味方につけよう。

 

何も難しいことなんてない。

自分に素直に従えばいいだけだ。

 

誰かに語れる夢はないし、今まで残してきたものもない。

学歴なんて無いに等しいが、そんな自分でもエキサイティングでハッピーな人生を送れるというのは証明したい。

それは努力とか競争とかでなく、もっと楽しいものだと。


自信は劣等感とプライドの中に在らず

劣等感を持つ人が意外と多い。変なプライドを持つ人が意外と多い。

これらを持つ人の特徴は自分に自信がない人達だ。

 

一見、プライドの高い人は自信を持っているかのような口調や振る舞いをする。

しかしそれ自体が本質的な自信の無さを見せたくないがための防御策なだけにすぎない。

 

学歴が高ければ劣等感を持つことはないが、不要なプライドを持ちやすい。

学歴がなければ不要なプライドはないが劣等感を持ちやすい。

 

もし新人の部下にこれらどちらかを持つ人がいたとしたら、まず私はそれらを捨てさせる。

例えば学歴が高く、プライドが高い新人に対しては徹底的に雑務をやらせる。

そうすると学歴の高い部下は必ず不満を持ってこう言ってくる。

 

○○さんは私につまらない仕事しかさせてくれないんですね。

こんな仕事をするために私はこの会社に入ったんじゃないです。

 

この反応は正しい。エリートで今まで来たのに、草刈りをやらせているようなものだから当然だ。

しかしながら本当に伸びしろのある人間はどんな環境にしろ、自分の与えられた環境で最善を尽くすことができる。

 

私はこう返答する。

 

○○さんは隣の学歴のないAさんより草刈りが随分遅いようですね。

草刈りでさえ一番になれない人にどうしたら面白い仕事をさせてあげらるでしょう?

 

もし、まともな人であれば気づくはずだ。

不要なプライドが邪魔をして、となりの学歴のないAさんより自分自身が役立たずだったことを。

 

さて逆に劣等感のある人材に対してはどうするか。

それは簡単だ。

 

その人が一番になれることをやらせるだけだ。

それが草刈りであれば草刈りをやらせればいい。

 

劣等感があるがゆえ、自分ができることに対してはとことんやってくれるだろう。

 

ふと振り返ったら気づくはずだ。

となりの高学歴の人より、草刈りにおいては勝てるということを。

 

それが自信となり階段を駆け上がり始める。

 

 

改めて自分を振り返ってみると良い。プライドにすがってないか。劣等感に打ちひしがれていないか。

それは自信がないがゆえに生じるもの。

 

自信をつけるためにはそれらと決別することだ。

そして何事にもどんな環境にも関係なく、最善を尽くすことだ。

 

孔子の孫、子思が著した『中庸』一節にある言葉。

君子は其(そ)の位(くらい)に素(そ)して行い、其の外(ほか)を願わず


立派な人物は自己に与えられた環境の中で、運命を呪ったり不平不満を言ったりせず、精一杯の努力をし、それ以外のことは考えない、という意味。