普遍と比較の落とし穴。心理ってやっぱり怖いね。

人の心理というのは無意識にコントロールされてしまうことがあります。

自分は騙されていない、自分で決断したと思ったことでも、実はうまく操られているかもしれません。

そうでなければ、この世に「詐欺」という言葉は存在しないのですから。

とある日、家のチャイムが鳴りました。

ピンポ~ン♪

来訪者: NHKの者なのですが、受信料の契約につきましてお伺いに上がりました。

自分: よく分からないんですけど。

来訪者: NHKの受信料を払って頂く必要がありますので、契約して頂きます。

自分: ・・・TV見ないんですけど。

来訪者: いえいえ、TV見ようが見まいが皆さん契約しておりますので。

自分: ・・・TVアタログなんでそもそも映らないんです。

来訪者: そうですか、そしたら確認させてもらえますか?オートロックを解除してください。

自分: ・・・分かりました。

インターホン越しで容赦無く攻めてくるNHK関係の営業マン。

急なことだったので相手の押しに圧倒されてしまいます。

断る手段も無いですし、心理をついてきます。

「皆さん契約してます。」

この言葉は、普遍的心理をついてますね。

みんながやってるなら自分もやらなくちゃいけないこと?と単純に思ってしまうことでしょう。

とりあえず、自分は受話器を置いて無視してみました。

その後、再びインターホンが鳴ることはありませんでした。

 

これは一例ですが、訪問販売の営業マンなどは巧みに心理を突いて購入動機を与えてくることでしょう。

ちょっとした言葉で心理を踊らされてしまいます。

人が普遍的でありたいと思う心理を逆手に、みんなやっているんですよ。やってないのはあなただけですよ。

なんて言われてしまったら、あなたは冷静に物事を判断することができるでしょうか?

招かざる客の心理ノックには注意しなければなりません。

 

 

もう一つ、普遍的な心理と同じくらい無意識にある相対的な心理についても気を付けなければなりません。

相対的というのは、とある基準やモノと比べて判断することを言います。

例に取れば、日常的に使われている「比較」というのは相対的です。

比較は合理的な選択を行なうためには必要なことだと誰もが認識しています。

AというカメラとBというカメラのどちらかを買おうと思ったら、機能面、価格面、デザイン面など、多岐にわたって比較することでしょう。

しかし、合理的に物事を考えるために用いる比較も場合によっては非合理的な選択を行なってしまうことがあります。

 

さぁ、あなたは秋葉原にデジカメを買いに来ました。

手軽に綺麗に撮れるカメラが欲しかったので、前調べで画素数は1000メガピクセル以上、ズームは10倍以上、手ぶれ補正付きの2機種に絞っています。

 

①CANONのデジカメ、1500メガピクセル、8倍ズーム、手ブレ補正付きで¥30,000-

②SONYのデジカメ、1300メガピクセル、10倍ズーム、手ブレ補正付きで¥28,000-

 

この2つで悩んでいると店員さんがすかさずやって来ました。

実は本日は特別キャンペーン中の商品がありまして・・・。

当初全く検討する余地もなかった一眼レフカメラを勧めてきました。

 

③オリンパスのデジタル一眼レフ、1600メガピクセル、望遠レンズ付き(20倍)、手ブレ補正付きで¥50,000-

 

通常は15万円はするんです。と聞かされて、思わずこちらの一眼レフに飛びつきました。

数週間後、一眼レフを使う機会がほとんどないことに気付き、普通のコンデジを買う羽目になるとも知らずに。

 

さて、これは合理的な判断でしょうか?

本来の目的が手軽で綺麗な写真が撮れるカメラであったのに対して明らかに手軽ではなくなります。

本質的なところの比較ではなく、「お得感」での相対的な比較をしてしまったのです。

①②より③は圧倒的にお買い得だ!

ただそれだけでの判断となったわけです。

 

人は近しいところでの比較検討は合理的にどっちが良いかを判断しやすいですが、考えても見なかった選択肢が増えると惑わされます。

それもそのはず。そもそも比較というのは近しいところでしかほとんど行なったことが無いからです。

例えば、自分の給与と親しい友人の給与は比較するのに、社長や著名人の給与と比較をしようとはしませんよね。

カメラも同様です。

比較検討の余地もなかった一眼レフが意外と自分の手の届く価格で手に入ると思った瞬間、土壷にはまったわけです。

 

マーケティングの世界では、この比較をうまく組み入れてセールスを行なうことは当たり前のように考えられています。

米国エコノミストはこんな販売を行なったそうです。

 

  1. WEB版の購読・・・59ドル/年間
  2. 印刷版の購読・・・125ドル/年間
  3. WEB版と印刷版の購読・・・125ドル/年間

 

さて、あなたが購読するとしたらどれを選びますか?

最も多く申し込みがあったのは3のWEB版と印刷版の購読でした。

 

これがどう心理を突いているかは下記の実験で分かります。

心理の実験で学生100人にも同じように3択で選ばせました。

結果は1が16人、2が0人、3が84人。

 

そして別の学生100人には2択で選ばせました。

 

  1. WEB版の購読・・・59ドル/年間
  2. WEB版と印刷版の購読・・・125ドル/年間

 

するとどうでしょう。

3択の時はWEB版と印刷版の購読が圧倒的だったのに、2択となると、

1が68人、2が32人と逆転してしまったのです。

 

つまり、3択のときは「印刷版125ドル」がおとりとなって、同額であるならWEB版とセットのもののほうが圧倒的にお得。

59ドルも得じゃないか!という判断になるわけです。

おとりがなくなると相対的な判断のための近しいものがなくなるため、現実的に自らのライフスタイルと費用面を検討して

自分にあった選択ができるようになったと言えます。

 

普遍的な心理と相対的な心理について簡単に例を挙げましたが、

日頃無意識の中で働くこれらの心理は、思いも寄らないところで非合理的な決断に流されてしまっているかもしれません。

 

▼オススメ本

予想どおりに不合理

 


何歳になっても本気でいたいと思う夏の終わり。

本気で何かに没頭できる人が好きだ。

それは仕事でもスポーツでも、芸術でもゲームでも何でもいい。

年をとると少しずつ薄れてきてしまう事なのかもしれない。

それでも自分の周りには仕事に本気な人、遊びに本気な人、恋愛に本気な人、

本気な友人がたくさんいるおかげで、自分も本気でいられる。

そんな友人ばかりに囲まれて過ごせる僕は幸せものだ。

 

夏の終わり。

山奥の体育館に「ダン、ダン」と鳴り響く音。

舞い上がる汗の飛沫。

都内が猛暑に見舞われたのはおそらく僕らの熱気が山上から下ったせいだろう。

 

こんな夏が30歳越えても続くことを願う。

恒例の1泊2日バスケ合宿。

冷涼な風と川がなんとも風情な山上の宿にて日夜バスケに明け暮れる。

ただそれだけの過酷で最高に楽しい男旅。

20後半のいい大人が学生時代の感覚に戻れる青春旅行でもある。

 

また来年の夏の終わりに都内が猛暑に見舞われるかもしれないが、広い心でどうか皆さん許して欲しい。


怒ることを辞めようと決心した日(※どうでもいい話)

たぶん、学生時代のキレキャラ度は海○蔵氏とタメを張っていたと思う。

もし彼と学生時代に知り合っていたら、今頃彼は病院で寝たきりになっていたに違いない。

彼と知り合いの人がいたら伝えてほしい。俺と出会わないで命拾いしたねって。

 

小さい頃、親父からは親父が学生時代に無期停学になった話を面白おかしく聞かされていた。

幼心にも自分はそんなことにはなるまいと笑い飛ばしていたが、振り返ってみたら謹慎3回を経験したことに気づいた。

 

俺のせいじゃない。これは遺伝だ。親父が悪いんだ。

とりあえず退学にならなくて良かった。

 

1回目の謹慎の時には反省文を感動的に描いてみた。

校長は親の前で「君なら大丈夫だ!」と涙しながら言ってくれた。

まさか数カ月後にまた校長の前に親を連れて行くことになるとも知らずに。

 

俺のせいじゃない。夏目漱石も驚くぐらいの文才を与えた神様が悪い。

校長の毛が薄くなってきたのは確かこの頃からだと思う。

 

そんな破天荒な学生時代を謳歌していたが、そろそろ卒業も近づき少しぐらいは先生に見直される結果をだそうと思った。

成績は普通だったからテストでNo1になるのは無理だと思ったので、運動で結果を出すしかなかった。

マラソン大会で1位を取ろう。

そう決心して、練習を大会の3ヶ月前から始めた。

週に3回、1回あたり15キロは走っていたと思う。

受験勉強やら何やらで、運動をしていない同級生たちに勝つのはそんな難しくなかった。

約18キロのマラソン大会。1時間10分ぐらいで走りきって順位は当然、学年1位。

先生も相当驚いていたと思う。

有終の美を飾れたかに思えた。

最後の通知表を見て愕然とした。体育だけは3年間ずっと最高評価の5を取ってきたのに、

マラソン大会で1位を取った最後の学期だけ、4をつけられたのだ。

職員室に乗り込んで怒り狂って怒鳴りちらしてやった。

 

俺のせいじゃない。優等生過ぎる俺をひがんだ器の小さい先生が悪い。

 

そして卒業。

しかし、俺は学校にみんなより2週間長く通い続けた。

日頃お世話になったことを思い出したら居たたまれなくなり、朝から昼まで掃除をしたのだ。

誰もいない廊下。チャイムがなると後輩たちが、なんで居るの的な目で見てくる。

噂は拡がり、最後のテストでカンニングして謹慎になったことがばれてしまった。

そう、掃除は謹慎の罰。2週間みんな卒業して休みに入っている中、掃除のため登校したのだ。

 

なんとも格好悪すぎる。

今ではネタだが、思い返せば怒ったり悪さしたりで良い思いをした覚えがない。

自分だけならまだしも身近な人まで悲しませたり、がっかりさせたり、痛い思いをさせたりと被害が拡がる。

傷つけた分はまた自分に返ってくる。関係のない人にまで影響をする。

そんなままで大人になっては、どれだけの人を不幸にしてしまうのか恐ろしくなった。

 

人のせいにして怒るのはもう辞めよう。

全部自分のせいにしよう。

 

この瞬間から、俺は仏の域に達したと思う。

優しさの象徴でもあるマザーテレサも論を説く孔子も、怒らない経営で有名な松下幸之助も、

俺と同じ時代に生まれていたら、彼らが有名になることはなかっただろう。

もはや仏のごとく自分を崇拝していたに違いない。

 

酔いつぶれたおっさんが電車で俺の肩に頭を乗せてきても、ウェルカム。

満員電車で足を思いっきり踏みつけられてもなんとも思わない。

スペイン人に殴られてもいい思い出に変換できる。

 

見える世界が変わった。

今までは結果を出しても評価されなかったが、結果を出さなくても信頼してもらえるようになった。

仕事でもお客様から、あなたとやりたい。と言ってもらえるようになった。

ありがとう。と言われる機会も多くなった。

すべては怒りと決別したときから好転したのだ。

拝啓

海○蔵さん。

学生時代のまま大人になっていたら、きっとあなたが飾った一面は自分が占領していたことでしょう。

敬具

しかし、怒りと決別しても、大人しくいたいとは思わない。

普通でいたくないと思う心は変わらず持ち続けたいもの。

だからこれからも49歳まではスケボーで会社に通い続けようと思う。

50歳からはちょっと衰えを考えてキックボードにしておく。

 

・・・たまにはどうでもいい話。