カテゴリー : 思考/ハック

飛ぶことを決意した鳥も、飛んでなければ飛ばない鳥

5羽のカモメが防波堤に止まっている。そのうち1羽が飛び立つことを決意した。

残っているのは何羽だい?

4羽です。と答えたくなります。

しかしながら決意そのものには何の力もありません。

そのカモメは飛び立つことを決意しましたが、飛んでなければ残りのカモメとどこも違いありません。

「希望を運ぶ人」より抜粋。

 

やろうと決意したのに行動が伴わないことは誰しも経験があると思います。

決意したことを評価することがありますが、決意自体に意味はあっても、何の力もありません。

行動が伴ってはじめて、決意したことに価値が生まれます。

 

「心で想ってても言葉にしなきゃ伝わらないでしょ!」

このフレーズは恋愛ストーリーの鉄板フレーズですね。

前述の考え方と同じように、何を思っていようが何を考えていようがアウトプットされなければ、

何も考えていない隣にいる人と何ら変わりありません。

ましてや第三者には違いなんて見えません。

 

心の中で「この人を一生幸せにする!」と決意したとしましょう。

決意した当人にとっては人生の岐路を選択したぐらいの重要な決断だったかも知れません。

しかしそれには何の力もありません。

 

大事なのは決意した後のアクションです。

英語をマスターする。お金持ちになる。世界を旅する。結婚する。有名になる。・・・・

過去にいくつの決意をしてきましたか?

その決意のうち、いくつの決意が叶っていますか?

 

決意自体に力がないことを改めて理解すれば、きっと行動するにはどうするべきかが見えてきます。

決意とはまだスタートラインに立っただけのことです。

スタートを切るも、スタートラインで立ち尽くすも自分のアクションひとつ。行動ひとつです。



2人の経営者。「変化」に対する異なる考え方

時代の変化と共にビジネスのあり方も変わるのは必然です。

その変化に対応しながら進化できる会社が生き残っているのは今も昔も同じ。

例えば、BROTHERという会社は良い例です。

以前にカンブリア宮殿で紹介されていましたが、創業期はミシンの製造からはじまり、今ではプリンター事業、通信カラオケ事業など時代と共に事業が大きく変化しています。

 

話は変わりますが最近2人の経営者にお話をお伺いする機会があり、「変化」と一言で言ってもいろんな変化の考え方があることに気付かされました。

2人とも事業としては同じ土俵で、競合に近い関係の会社です。

さらに言えば、数年前までは両社とも違う事業を事業ドメインとしており、ここ最近新規事業として展開し急成長お果たしています。

前述の「変化」を実行している2社です。

しかしながら、両社とも同じ過程を経て同じ土俵に辿りついたかというとそうではなく、

1社は上場企業で以前の事業ではこれ以上の成長は見込めず、他の新規事業をしなければ成長性がなかったため事業を変えたとおっしゃいます。

もう1社は数億の利益を出しながらも、目標としている1000億の売上を以前の事業では達成できそうもないと思った瞬間に事業を売却し事業を変えたとおっしゃいます。

両社とも急成長企業であるのに変わりありませんが、こうも「変化」に対しての捉え方と歩み方が違うのかというのには驚きました。

 

どちらが良いか悪いかということではなく、「変化」にもいろんな視点があるということです。

今の現状から脱却するためも良し、目標を達成するためも良し。

少なからず前進するための「変化」という選択は悪い決断ではなさそうです。

 

何かを変えなければ何も変わらない。

何かを変えたければ今を変えなければいけない。

 

よく先人たちの言葉で似たようなメッセージを見かけますが、この言葉は個人にも言えます。

 

相手を変えたければ、自分が変われ。

自分が変われば、相手も変わる。

 

言うことを聞かない。思い通りにいかないとき、相手や環境のせいにしていないでしょうか?

人を変えようが環境を変えようが、自分が変わらない限り永遠にその境遇からは逃げられません。

 

2人の経営者の思考を借りるのであれば、きっとこう考えるでしょう。

 

・今の自分に満足か?満足でないなら新たな自分を探そう

・なりたい自分になれているか?なれていないなら新たな自分を探そう

 

ちなみに1000億円を3年でやると豪語しているのは24歳の経営者です。

彼自身も相当変化したからこそ、確信を持って豪語できるぐらいの自分になれたのでしょう。

 

さぁ、改めて自分に問い正してみよう。

今の自分に満足か?

なりたい自分になれているか?



今の若者は覇気も夢もない奴が多いと言われるので少し考えてみた

今の若者には覇気がない。

昔はもっと活気もあってみんな毎日を必死に生きていたもんだと、先人は言うのです。

 

お前ら若者は何に熱中してるんだ?

楽しみは何なんだ?

それで人生楽しいか?

昔はモノもなく、今はモノに溢れて幸せじゃないか。

 

不自由もなく、そんな貧富の差もなく、当たり前のように高校に進学し、当たり前のように専門あるいは大学に進学。

そう考えると先人たちのこの言葉や発言は確かに正しいと感じます。

 

夢を形にしてきた先人たちが望んだ世界に私たちは生きています。

幸せな時代に生きています。

 

ただ、幸せな時代である一方で、不幸な時代でもあると感じます。

先人たちが夢を持って築き上げたこの世界は私たちの夢や欲望を既に満してしまっているのですから、

誰しもがこの時代に夢を持って世の中を変えようなどと思えるほど不満もなければ欲もないのです。

手に入らないものを手に入れたいと思うことは人間の本能。

逆に簡単に手に入るものに対して必死になることがどうしたらできるでしょう。

 

300円で牛丼が食べらる時代です。

50年前に生きた人であれば牛丼を食べるために必死に働いて牛丼にありつくことを夢のように思ったかも知れません。

バナナも昔は高級果物だったと祖父から聞かされた記憶があります。

バナナのためにがむしゃらに今の時代で働けますか?牛丼のために必死で働けますか?

今の時代は必死にならずとも多くのものが手に入りすぎるのかもしれません。

空気のない宇宙では空気に誰もが感謝します。水のない砂漠地帯では誰もが水に感謝します。

全てに満ち溢れたこの環境で、何に感謝してますか?

 

覇気がないというのはどこに情熱を燃やしたら良いのか分からない人が多いだけのように思います。

それだけ今の時代は充実していて何も考えずとも手に入り、それなりに収入も得られ、楽しむためのエンターテイメントもネットにつながればいくらでもあります。

そんな充実してしまっている環境の中で心底がむしゃらに情熱を燃やせる人が少ないのは当然の摂理なのかもしれません。

さらに追い打ちをかけるかのごとく現実逃避ができるゲームが当たり前になり、貴重な思考の時間を完全に奪われてしまいます。

テレビもそうです。

思考が、完全に停止し、あっという間に時間が過ぎ去る。

この世の中には逃げ道がたくさん存在しすぎます。

 

夢や希望を持たなくともそれなりに楽しいと思えるツールも情報もモノもあり、最低限の収入も稼げる。

選択肢や逃げ道が多ければそれだけ多様性に富んだ生き方が存在します。

だから昔より覇気がないと思われてしまう人が多くいても当然です。原理原則なのですから。

 

昔と違うのは選択肢の幅。

生き方のスタイルも多種多様。 だから何が悪いわけでも誰が悪いわけでもありません。

日々仕事に熱中して夢を語ることだけが選択肢でもありません。

ゲームやテレビに時間を使うことがその人にとって至福の時であればそれも悪いことじゃありません。

それを悪とするのであればフジテレビや日テレなり訴えられてしかるべきであり、今急成長のモバゲーやグリーなんかは大罪になります。

そうならないのは多様な生き方に対して楽しみを提供しているからでしょう。

 

先人たちが創り上げたこの世界は、最高に居心地がいい。

温室育ちの私たちは昔ほど必死になることなんてなかなかできません。

 

だからあえて先人たちに改めて気づいて欲しい。

私たちはたくさんのモノやカネを求めてないんだ。だからもう与えるのは辞めてくれ。

裕福太りはもう御免だ。

それよりも太った脂肪を燃やすための「やりがい」を見つけたいんだ。

情熱を燃やすための「生きがい」を。

 

やりがいや生きがいさえ見つかれば、きっと変わります。

モノやカネだけでなく、やりがいや生きがいを提供する会社や施設が増えたら、きっと今の若者は覇気も情熱もない。

なんて言われなくなるはずです。

 

先人と若者とが考えなくてはいけないのは昔と今の価値観をこじつけ合うのではなく、

モノとカネ、やりがいと生きがいを共有することではないでしょうか。