カテゴリー : 思考/ハック

恐怖 < 好奇心 = 進化

人間の進化は面白い。

火と言語を手にした時から大きな進歩が始まったと言われている。

特に着目したいのは火の使用だ。

何故火を手にしたのか。

他の動物が怖がり避けるものへ近づいたこと。

もしそこの思考に進化のヒントがあるのであれば、現代においても既成概念に囚われないことと好奇心にこそ大きな進化をもたらす答えがあるに違いない。

 

教育の過程では記憶力中心のことを学んだと思う。

記憶力は確かに重要だ。

営業力が強い会社の経営者や役員は記憶力が長けていていつも驚かされる。

しかし、記憶力が人類の進化をもたらして来たとは思えない。

もしそうだとしたらこの世の中は、チンパンジー中心の世界になっていなくてはおかしい。

人類が火を手にしたように、今何を手にすれば良いのだろうか。

ひとつ言えるのは誰もが避ける先にきっと新たな進化があるということ。

ジョブズは既成概念に囚われない重要性を説いてくれた。

常に疑問を持とう。今の自分に今の世界に。

そして知ろう。新たな進化は自分の中の恐怖の中にあることを 。



肝の据わらせ方。~時代や環境、人に流されないために~

 

どんな人になりたいですか?そう問われたらきっと「肝の据わった人になりたい。」

私はそう答えます。

 

肝の据わった人というのは頭の良い人のことを言うのではありません。

沈着冷静な人ともまた違います。

はたまた度胸がありチャレンジを恐れない人とも違います。

 

時代や物事を変わらぬ視点で客観的に捉えられる人のことです。

まるで100年そびえ立っている木々のように、雨風に立ち向かうわけでもなく、受け入れないわけでもなく、

うまくすり抜けさせて堂々とそびえ立つ。

根を張り幹を太く、枝先を長く上へ上へと根ざしている大木の様。

日々変わりゆく環境の中、何も変わらず。

そんなイメージでしょうか。

 

常に本質を理解し、どんな環境でもどんな状況でも焦ることも怠けることもなく、やるべきことに最善を尽くします。

周りに何を言われようと折れることなく、かと言って聞く耳はいつもオープンで、自分を見失うことはありません。

 

人は危機や緊張の中にあると、どんな平静を装っても、目が游いだり、癖が出たりと、どうしても表に出てしまいます。

しかしながら肝の据わった人というのは、一切動揺しません。

大木に蹴りを入れようがツバを吐こうが、罵声を浴びせようが何も変わらないように、その人はビクともしないのです。

 

どうしたらそんな人になれるのでしょうか?

どんな理論よりも、どんなスキルよりも、どんな知識よりも、教えてもらえるのであれば、「肝の据わらせ方」を教えて頂きたい。

今の時代を生き抜くために、あると良いものはたくさんあります。

語学力、マネジメント力、マーケティング力、コミュニケーション力・・・・。

ただ必要なものと聞かれたら、やっぱり「木(肝)」だと思います。

スキルはあくまで木の先に成る実や花です。

そもそも木もなければ実を持つことさえできません。

やせ細った木に実らせたとしてもそれは一時しのぎにしかなりません。

温室育ちの実は、食べられて終わる人生でしか無いのです。

 

私が「肝」というものを意識したのは3年前ぐらいでしょうか。

若くして肝の据わった人を目の前にした時です。

彼に言われたのは、「目が游いじゃってますよ。」

 

この一言から、常に自分自身を客観視するようになりました。

目が游いでないか、緊張してないか、焦ってないか・・・。

意識するようになってからは徐々に自分自身をコントロールできるようになりました。

 

この数年で常々思うのは、環境や他人を変化させることはできないということです。

ただ自分自身は変化させることもコントロールすることもできるのです。

「肝の据わらせ方」という本質はまだまだ分かったとは言えませんが、いくつかのヒントはあります。

 

  • 自分自身をコントロールできること
  • 環境や人にコントロールされないこと
  • 常に周りを見て本質でものごとを考えていること

 

誰もが時代の不安定さからか、スキルや知識を学ぼうと必死です。

たとえスキルや知識を得たとしても時代の変化や求められるものによって常に不安定な環境からは逃れられません。

 

どんな時代にも唯一通用するものがあるとしたら、自分自身が大木に成ることだと思います。

知に足を付け、根差し、変化を客観的に見極められる力です。

 

一度巨木を見に行ってみて下さい。

言葉では言い表せない、何かを感じることができるはずです。

http://www.kyoboku.com/47/

 

植林よりも巨木でありたいと思うのであればなおさらに「肝の据わらせ方」を考えてみてはいかがでしょうか。



人生こんなはずじゃなかったのに・・・。人生後悔しないための羅針盤

いくらあとになって嘆いても嘆き切れないのが人生です。

人生を振り返った時、「こんなはずじゃなかったのに・・・」と思ってしまう人生だけは送りたくないものです。

 

誰もが「良い人生とは?」という問いかけをしますが、

あえて私は自分にとって「嫌な人生とは?」という問いかけをするようにしています。

何故ならば、「良い人生」とは限りがなく、答えのないものを永遠追い続けることになるからです。

適うかも分からない人生ばかりを追っていては適わなかった時の脱力感ときたらこの上ないでしょう。

 

逆に、嫌な人生は明確に答えが出ます。

私が思う嫌な人生は大枠3つです。

 

今日が早く終わって欲しいと思って生きる人生

つまらない仕事なり、暇な時間であったり、今日という日を早く終わって欲しいと思って生きることは、

早く人生が終わって欲しいと願っていることとそう違いありません。

一日一日が本気な人生でありたいものです。

 

いつか最良の日が来ると思って生きる人生

今頑張ればいつか最高の日が訪れる。今我慢すればいつかきっと良くなる。と信じてやまない人が結構いたりします。

待ち続けていつの間にか人生終盤を迎えてしまうようでは後悔の念しか残りません。

いつ来るやもしれない「いつか」に賭けるほどギャンブルな人生ではなく、いつでもどこでも誰とでも幸せを感じる日々を過ごしたいものです。

 

過去が最高だったと執着して生きる人生

栄光に縛られ栄光に生きることは独り善がりの寂しい人生です。

昔に囚われて生きようが、今を謳歌して生きようが、それは自分の気持ちひとつで変えられます。

若いころのように派手に生きることが栄光ではありません。

環境や時代、歳によって生き方も変わってくるのですから昔と比べて派手かどうかではなく、楽しいかどうか、充足しているかどうかなど違った尺度で今を謳歌したいものです。

 

 

「自分にとっての嫌な人生」を定義すると、それが人生の羅針盤となります。

1週間のうち早く明日にならないかなぁ。週末にならないかなぁ。と思う日々が続いたとしたら、それは自分にとって「嫌な人生」を歩んでしまっていることになります。

そんな時に羅針盤が人生の方角を間違えていることを知らせてくれるでしょう。

 

最高の人生を望遠鏡越しに見ながら目指すのもいいですが、遠い彼方ばかりに執着して目先にある大きな渦に気づかず突っ込んでしまうかもしれません。

まずは最低限、方角を間違えぬよう自身の羅針盤を持ってからでも遅くないのではないでしょうか。