カテゴリー : 思考/ハック

その生き方をロールプレイングゲームにしてみたら・・・

ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなど男であれば、大抵の人が夢中になった名作です。

何故あんなにも売れるのかは、やはり「冒険」という非現実的な世界がそこにあるからのように思います。

誰もが勇者に憧れて、勇者のように讃えられ、賞賛されることを口には出さずとも潜在的な意識の中で持っているのでしょう。

 

小さい子供は素直です。

戦隊ものに憧れて、あたかも自分がヒーローであるかのように真似てみたりするものです。

大人になると何故かヒーローに憧れることが「恥ずかしい」こととして捉えられているように思えて仕方がありません。

自分の生き方がヒーローでないとしたら一体どんなキャラクター設定か、ロールプレイングゲームに当てはめて考えてみると意外と残念なキャラクターかもしれませんね。

 

自分が主人公だとして、自分の生き方をロールプレイングゲームにしてみたらどんな物語になりますか?

ロールプレイングゲーム

街をぶらついている人が主人公だった場合

今日も一日中外で散歩。

お、何か光るものが落ちているぞ!5ギルゲットした!ラッキー♪

再びぶらついているといじめられている子供を発見。

すかさずいじめっ子を懲らしめてやった。

経験値1上がり、いじめられっ子の親から謝礼をゲット!10ギル。

昼も過ぎたので近くのカフェで休憩。HP3回復。-5ギル

庭の水やりをやっているとさっきのいじめっ子が後ろからなんとカンチョウをしてきた。

無防備のためHP5消耗。

あまりの痛さにベットで休息・・・・・・・・・・・・。

そもそもクリアがどこか検討もつきませんが、このロールプレイングゲームのエンディングロールにはどんな絵が映るのでしょう。

その街で過ごした思い出、日々変わらぬ日常、安息の人生。

決して悪いものではないと思います。

 

ですが、このゲームが爆発的に売れることはありません。

つまり、何が言いたいかというと、勇者を目指さない限り、勇者のようなエキサイティングでワクワクするような日常は送れないということです。

ロールプレイングの主人公が自分だとして、どちらのストーリーを歩みたいですか?

勇者なのか、街を延々とぶらぶらする人なのか。

両極端過ぎますが、ゲームであれば勇者の物語を歩みたいと思う人のほうが圧倒的だと思います。

それが現実世界となると、急に逆転します。

大半が街をぶらつく人の物語と何ら変わらない道を歩んでしまっているかもしれません。

 

世間は狭いとよく言いますが、逆を言えば狭い世間しか知らないということです。

勇者は変化を受け入れ、自ら変化を求めます。

進化すれば、持つ武器も変わり、倒す相手も変わってきます。

そうやって自分が進化していくことでステージが変わり、新しい世界を見ることができるんですね。

 

勇者を夢見て旅することは決して恥ずかしいことでも無謀なことでもないと思います。

最近挑戦したことは何かあるだろうか。

過去に成し遂げた壮大なことはあっただろうか。

レベルアップしているだろうか。

何よりもこれから何を成し遂げたいのだろうか。

勇者とまでは行かずともどうせなら、自分が主人公のゲームを少しでも楽しいゲームに出来るように、

レッツ、ライフスタイルプラン!

 

・・・ですね。



困難を乗り越えるには困難の対処法を知ること

「なんて失敗を犯してしまったんだ。こんなことになるならやらなければ良かった。」

そんな風に思うことは誰でも経験があることですね。

ただ、そのときは地獄に落ちたかのように思えたことも、今となっては良い思い出だったと思えることも多いのではないでしょうか。

それは自身がそれを困難でなかったと悟ったときにはじめて振り返れます。

困難を乗り越えたとき、困難だと思っていたことは実は成功への過程に過ぎなかったということを体験して知ったからです。

それさえ経験できれば、ほとんどの困難に都度気負いする必要がなくなります。

困難は単なる成功への過程。その過程をクリアすれば成功が見えるようになるのですから、気負いどころか喜びだと感じるはずです。

 

プロスポーツ選手に置き換えたら、分かりやすいかもしれません。

「プロ」と言われるまでに至るに誰一人容易な過程でなかったことでしょう。

誰よりも練習し、日々困難を乗り越えてきたからこそ、今の栄光があります。

そして過去の困難を良い思い出と振り返っていることでしょう。

 

仕事もなんら変わりありません。

困難を乗り越えなければ、それ以上の困難を乗り越えることは永久に不可能です。

壁が小さくなるのを待つほど馬鹿な行為はなく、壁は自分が大きくなって越えれば良いだけの話です。

環境の変化を待つよりも自分が変化する方が予測がつきますし、自分自身でコントロールできます。

自分の人生に責任を持てとはよく言ったものですが、環境に依存して人の人生を歩まされるほど惨めなことないと思います。

 

困難の対処法とは、困難のその先に何があるのかを見据えて立ち向かうことです。

結果がどうであれ、挑戦したことで必ずどちらかの答えが出ます。

うまくいったのか、うまくいかなかったのか。

そこまで行けばあとは簡単。

うまくいったのであれば続ければ良いし、うまくいかなかったのであれば、うまくいく他の方法を考えれば良だけです。

何のリスクもないどころか、メリットしかありません。

 

困難を避けて暮らすことが穏やかなことと捉える人がいますが、大きな間違いだと個人的には思います。

環境がとめどなく変化し蠢く現代において避けて暮らせるほど甘くないこのご時世。

であれば困難の対処法を知り、困難よりも大きな人間になるほうが得策ではないでしょうか。

 

今の自分は1メートルの人間。自分の目の前に1メートルの困難という壁があります。それを乗り越えるために試行錯誤し、経験という名の食料を食べ、2メートルの人間になりました。

果てして1メートルの壁はもはや困難という名がふさわしいのでしょうか?

 

経験を食料にトライしたらどうでしょう。

逃げていたらいつまでたっても1メートルの小柄なねずみ人間でしかありません。

そんなラットマンになることが夢だったのですか?



自己啓発本は役に立たない!は嘘。役立つ読み方を知らないだけ

志の高い人とお会いするとよく思いますが、自己啓発本が好きな人多いなぁと感じます。

そういう人の中に、本の内容を明確に記憶していて、やたらと語る人がいます。

はっきり言って、言葉は悪いですが、結構ウザイタイプ多し。。。

発言する言葉例外なく、「どの本も結局同じことばっか言っていて役に立たないだよね。」と言います。

本当に役立たないのでしょうか?もしかしたらそういう人たちは本から学びえることよりも、本を読みあさることが目的になってしまっているのではないでしょうか?

 

自分自身も一通りの自己啓発本は手にして読んできましたが、本の内容やストーリーを覚えているものはほぼありません。

単純に記憶力が悪いということは否めませんが、そもそも本の内容を覚えていることが大切なことか?って思うので、覚えようとして読んだりしません。

あくまで自分にとっての本の活用は、自分にない視点や思考が出てきた際にイマジネーションするための手段です。

この考え方は自分の発想になかった!と思うキーワードが出てきたら、一旦読むことを止めます。

とにかく今の自分に置き換えて、その視点や思考が自分に役立つものなのかをイメージします。

だから、本に求めることは内容の面白さよりも、イマジネーションするポイントがいくつあるか。ということになります。(僕の場合は)

 

多くの経営者は読書のススメを説いています。

これに関してはまったく異論ありません。

読む本にもよりますが、何かしら感情や考え、心に影響を与えるものだと思います。

しかし、誤った知識や知恵は負の思考をもたらします。

それは「知った気になる」ことです。

本に書いてあることをあたかも得た気になるのは、K-1を見てなんか強くなった気がする感覚となんら変わりありません。

その知識や知恵は偉大な先人たちが年数に年数を重ねて辿りついた思考の形であって、凡人の自分らに本を読んだだけで体得できるわけないんです。

本を読んだだけで知った気になるのだけはよしましょう。

そんな惨めで小さい人間になることを本を記した偉人たちは望んでないのですから。

 

それともうひとつ。

無駄な記憶は何の役にも立ちません。むしろ型にはまった教科書どおりの思考しかできなくなってしまいます。

どういうことかというと、本に記されている内容はあなたのためだけのものではなく、万人受けされたものだということです。

そんな教科書に自分だけのレシピなんて存在しません。

みんなが納得するようなレシピでしかないんです。

本を鵜呑みにせず、あくまで本は自分にとってのスパイスでしかないと思う方が得策です。

メインディッシュではなくスパイスです。

スパイスを自分の料理にどう振りかけるかは自分で調節しなければいけません。

自分にとって最高の料理を作りたいのであれば万人受けを狙ったレシピ(本)に頼り「きってはいけません。

レシピ通りの料理ほど味気のないものはありませんから。

 

どんなに真似てもカーネギーにはなれないし、ジョブズにもなれません。

彼らの本は彼らだからできたことであって自分ができることではないのです。

今の自分の料理(思考)にスパイスを適量つまんで振りかけるぐらいにしておいた方が料理も引き立つことでしょう。

本はそうあって然るべきだと感じます。

 

読んで知った気でいるとは、なんて惨めなんだ!ナポレオンヒルにでもなった気でいるのかい?

どっからどう見ても、凡人以下の口先野郎にしか見えてないよ。

きっとそう偉大な先人たちは思うだろうし、「となりのせきのますだくん」も横目でそう思ってるに違いない。