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幹部会議を終えてみて

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4月から大きく組織が変わり、光栄にも幹部候補としてのポジションを与えていただきました。

いつの間にか8名を抱えるユニットの長として1ヶ月が経ち、試行錯誤の毎日を過ごしています。

会社としてかなり権限委譲をした体制であるため決定権がある反面、「責任」というものも明確で、言い訳はできません。

ある意味、本当の自分の実力が結果として見えてくるという良い機会でもあります。

はっきり言って、そこに恐怖や不安もあります。

でもその恐怖や不安が良いプレッシャーとなって、考える機会と学ぶ機会とを与えてくれているのも事実です。

まあ色々と会社も自分も右往左往している中ですが、

今日は幹部会議の名の下、土曜なので会社自体は休みですが、幹部と幹部候補生が集い、今後の方向性や課題などポジティブな会議が喧々諤々と朝から夕方まで行なわれました。

個人的にこの会議の意味合いは会社にとって非常に大きな進歩だと思っています。

それは、何故か。

この会議自体がトップダウンの考えでなく、ボトムアップの考えの会議だからです。

僕自身が思いっきり会社に対してもビジョンや方向性を語れる(主張できる)場だからです。

社長はもちろん、幹部全員が揃うの場なので、即時決まって行くスピード感がたまらないですね。

それぞれの主張を聞くだけでも勉強になるし、刺激になります。

やっぱ、幹部や幹部候補だけあってみんな言うことは立派です。

発言一つ、言葉一つとっても地頭の良さが物凄く分かります。

この中に自分がいるのが楽しくてしょうがないです。

なんせ、15人の幹部の中、20代は自分だけだし、はたから見たらクソ生意気なガキがほざいているようににしか見えませんからね。

それを認めてくれる今の会社には本当に感謝です。

自分はこの中でも圧倒的に最年少でありますが、気後れだけはしないように心がけてます。

頭が悪く、記憶力も極めてない、経験値も浅い自分が勝負できるところと言えば、

独創性だったり、熱意だったり、気迫ぐらいしかないので、そこだけはぶれない様に軸を持っていれば、気後れすることもなく、堂々と対等に主張できます。

年齢は関係ないし、経験も関係ないし、学力も関係ありません。

そういう時代だし、そもそもそれが本来のあるべき姿だと僕は思ってます。

必要なのは、

主体的に考え続けられる力だと思ってます。

うちの社長は似たような表現で当事者意識と表現してましたね。

正解も答えも保障もなく、日々変化する世の中において、常に考え続けなければついていけません。

考えるだけでなく、具体的にどうするのか自分がそこの核とならなくては流されてしまうだけになります。

流れは自ら生み出すものです。

流れを早くしたいなら波を起こさなければいけません。

言うは簡単です。

○○をすべきだと思います。○○は間違ってると思います。こうした方がいいと思います。

大嫌いな言葉ですね。これらは傍観者が言う責任を持たない卑怯な発言です。

○○をやります。

これが当事者の言うべき責任ある発言です。

発言を観察すれば自分が当事者か傍観者かが分かります。

もし傍観者的な発言をしているようであれば発言の最後の部分を意識的に変えるようにしてみるといいかもしれません。

 



殻から抜けるには全てを受け入れることから

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人生の財産はなんですか?

ある人に言わせるとそれは「経験」と答えます。

確かにこの人の言うとおり経験しないことには何も喜びを得ることはないなぁと思います。

経験は自ら行動すればできます。

でも日常的には自ら行動しなくても経験を与えてもらうケースの方が多いんじゃないでしょうか。

例えば仕事の依頼とかがそうです。

仕事の依頼を拒んだ経験がありませんか?

自分も最近遠回しに拒んだことありました。

最近気付いたことですが、拒む必要性は全くないことを知りました。

経験を与えてもらうことをあえて拒むのは人生の財産を自ら捨てるようなものなのかもしれないと考えるようになったからです。

 

経験や苦難を乗り越えている人の顔は明らかに違います。

前述のように経験こそ人生を豊かにする源なんだと思います。

そう考えると課題を与えてもらうことがどれだけありがたいことなのか。

 

来期、僕は今率いているマーケティングチームに加え、営業を兼務する予定です。

最初なんてリスクを取るんだろうと疑いの念をもちました。

会社のことを考えたら現在のチームに注力した方が間違いなく競争力は高まると考えていたからです。

そういう意味で僕は社長にも伝えました。

社長はそんなこと100も承知で僕に数字予算持たせると言います。

それが俺のためだからだと言っていました。

正直その本意が分からないでいましたがようやく、分かった気がします。

単純に僕に経験を与えるためなんだと思います。

自分はそれを拒もうとしていました。

ここは拒むところではなく、感謝すべきなんだと思います。

会社はわざわざリスクを負ってまで僕に経験という財産を与えようとしてくれているわけですから。

 

【今回の教訓と心得 】

まずは全てを受け入れることから経験は広がる。 自分が思っている経験とは自分の殻の中での経験に過ぎない。 殻を破るには外部から破壊してもらうのが手っ取り早い。 そのためにやるべきことは受け入れるためのドアをたくさん設置して常に開けておくことだ。 心のドアをオープンに。

※何事も受け入れる前に経験に値するものかを見定める必要性はある。



部下の評価は自分の評価より嬉しい

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僕の部下が社内の賞を受賞しました。

部下の受賞が自分にとってこんなに嬉しいことだとは思っても見ませんでした。

それは単純に我が子が賞をとった父親的な感覚なのかもしれません。

あともう一つ、人を育てることができたという自分への自信にもつながったからだと思います。

 

自分の評価をあげることは簡単です。

自分が結果を出せばいいだけだからです。

では、人の評価をあげることはどうでしょう?

・・・人の評価をあげることは・・・実はもっと簡単です。

自分は手を動かさず、その人に結果が出るようにナビゲーションすればいいだけだからです。

もちろん99%は本人の努力です。

僕はただ1%のナビゲーションをしただけ。

99%の努力をどこに注げばいいかを示しただけです。

 

世の中の上司に目を向けると、いろんな上司がいます。

  1. 手取り足取り教えてくれる上司。
  2. 面倒なことだけやらせる上司。
  3. 簡単なことだけをやらせる上司。

どれもよく見る上司です。

僕がこの人たちの部下だったら3ヶ月で見切りをつけるでしょう。

この人たちの部下でいても成長しないし、不満に思うことばかりです。

できる部下であればあるほど自分主体で動いた方が結果が出せるし評価をあげられるので、個人主義になります。

でもそれは、我流の道を行かせることになり、短期的な成長はできてもそれ以上には行けません。

例えるなら、基礎のないピッチャーがカーブを投げて自己満足してるようなもの。

本来上司というのはコーチでなくてはいけません。

ボール磨きをずっとやらせていては成長しないし、不満がつのります。

それじゃあ我流でカーブを投げたくもなりますね。

では手取り足取り教えるのがいいのでしょうか?

こうしろ。ああしろ。と言われたことだけをやらされてはたまったもんじゃありません。

指示されるために野球をやってるわけじゃないのだから当然です。

 

コーチがすべきは野球の楽しさを教える事です。

ただそれだけです。

それさえ教えることができればあとは自ら物事を考えるようになるし、練習も能動的にします。

仕事もこの例と何ら変わりないと思います。

楽しさを教え、試合(実践)をさせ、あとは自ら努力するようにちょっとしたきっかけと環境を用意すればいいだけです。

 

でも不思議ですね。 こんな簡単なことをやらない上司がどれだけいることか。

あえて手間のかかる選択をするのか、悲しい限りです。

そうする理由は簡単で、上司自身が野球の楽しみ方を知らないからです。

楽しみ方を知らない人が楽しさを伝えられるわけありません。

まずはコーチである以前に自分自身が野球(仕事)を愛し、楽しむファンでなくては上司とは言い難い口先だけのヘタれものでしかないのかもしれませんね。

そうならないように気をつけましょう!

みんな楽しく目的と目標を共有できたらどれだけ素晴らしい仕事ができるか、想像するだけで興奮するでしょ。

やっぱり目指すは甲子園じゃなくちゃ。

そう考えた上でどのコーチを選択するか、どういうコーチが理想か、自分に問いかけてみると良い気づきがあるかもしれません。