アーカイブ : 2012年 9月

私には夢がない!

人に語れるほどの夢を持っているでしょうか?

私には今、夢がありません。

追い求めてもいません。でも私の夢は叶うと確信しています。

 

きっと矛盾に聞こえることでしょう。

夢がないのにどうやって夢が叶うのかと。

 

今、私は夢を持つための、あるいは叶えるための準備期間だと考えています。

今、夢がなくとも、いつか必然と偶然の中で夢を持ち、叶えるための準備をしている真っ最中だと。

 

本を開くと、目標や夢を持つことの大切さを説いたものがたくさんあります。

確かに大事です。夢がなければ叶いようがありません。

 

しかし、夢を持つことを目的にしてはいけないと思うのです。

例えば結婚したいという夢を描き、婚活をし、結婚した人がいます。

幸せ円満の人も入れば、新婚なのにもう別れたいという人までいます。

夢が叶ったのにこの有り様はなんとも不思議です。

 

結婚にフォーカスしましたが何事も夢の持ち方を誤ってはいけないと思うのです。

夢は無理に持つものでもなければ、周囲や環境に流されるものでもありません。

夢は自分の内から必然的に芽生え、偶然のもとで表に出てくるものです。

 

結婚も同様です。

結婚したいから相手を探すのではなく、素晴らしい相手がいるから結婚するものです。

結婚自体は単なる手段でしかありません。

 

きっとこの見解には反論も多いことでしょう。

素晴らしい相手がいないから探すしかないでしょと。

 

もし自身が誰からも羨まれるような人徳と人望があったとすれば、必然と偶然のもと素晴らしい人は必ず最良のタイミングで現れます。

相手を探すのではなく、自身が素晴らしい人に巡りあうための準備をすることが大事なのではないでしょうか?

夢を持ちたい、叶えたいのであれば、そのための準備が必要なのではないでしょうか?

 

夢を語るは簡単です。

ただそれは手段なだけで、婚活と同じような考え方になっては意味がありません。

 

もし今、夢がないことに焦りを感じているとしたら大間違いです。

夢は必然と偶然の中から最良のタイミングで訪れるものだと考えたら、今何をすべきなのでしょうか。

 

夢を焦りの中から無理くり想像することでしょうか?

夢を持つ、あるいは叶えるにふさわしい人として自身を磨くことでしょうか?



人より幸せになりたければ人より人を幸せにすることだ

これはひとつの例えだけれど、大半が望むばかりで終わってしまっていないだろうか。

外に何かを求めるのではなく、自分に何ができるかを考えることが先だ。

 

プロ野球選手になろうと思ったら、最高のコーチを探すのではなく、まず人一倍練習することが先なのと一緒だ。

幸せになりたいと思うのであれば、幸せにしてくれそうな人を探すのではなく、自分が周囲を幸せにすることが先だ。

 

例を聞くとただ順序が誤っているだけのように思われるかもしれない。

そうではない。思考が全く違う。

 

幸せになりたいから幸せにしてくれる人を探す。

幸せになりたいから幸せな人を沢山創る。

 

この2つの思考をイメージして欲しい。

どちらが幸せになれる可能性が高いだろうか。

 

違いはたった一つ。

外に求めているか、内に求めているかの差だ。

 

会社で会議をしていても発言をよく聞くと、どちらかのタイプに分かれる。

例外なく、出来る人は後者だ。

 

面接でも商談でも日常の会話でも、この視点で発言を聞けばその人のタイプがすぐに分かることに気づく。

どちらが良いとか悪いとか言っているわけではないが、後者の人になりたいと思うのであれば、後者のタイプを見極めれば良い。

 

そして何よりも自分自身が後者の思考になっているか改めて考えてみると良いだろう。



「知ってる」ではダメ。知る⇒分かる⇒出来る

本を読むと少し頭が良くなった気になります。

あたかも本の知識が自分の知識になったかのように錯覚してしまう経験は誰にもあることでしょう。

そして明日からは成長した自分を思い描くのです。

 

忘却曲線をご存知でしょうか。

20分後には、42%を忘却し、58%を覚えていた。
1時間後には、56%を忘却し、44%を覚えていた。
1日後には、74%を忘却し、26%を覚えていた。
1週間後には、77%を忘却し、23%を覚えていた。
1ヶ月後には、79%を忘却し、21%を覚えていた。

参照元:Wikipedia

これを見ても分かるように明日は成長した自分ではなく、知ったかぶりの自分しかいないのです。

 

最も怖いのは「知っている」で終わってしまうことです。

例えば、野球を知っていますか?と聞かれたら、誰しもが知っています。と答えるでしょう。

では、野球が分かりますか?と聞かれたらどうでしょうか?

さらには、野球ができますか?と聞かれたらどうでしょうか?

 

これが社会の中では矛盾を引き起こしています。

知っている=出来る と勘違いしている人が非常に多いのです。

 

本を呼んで知ったつもりになり、セミナーを受けて分かったつもりになり、それを他人に偉そうに教えて出来るつもりになってしまってはないでしょうか?

 

もし社会の中で成長したいと思うのであれば、「知ってる」ではなく、「出来る」にならなくてはなりません。

 

ちなみに、知る(情報収集)⇒分かる(勉強・学ぶ)⇒出来る(行動) の順に順序良く進む必要はありません。

最短で出来るようになりたいのであれば、直感でまず行動からはじめ、失敗から学び、情報を得てまた行動していくことです。

 

人間が言語化して意識できる情報は5%。残りの95%は言語化できていない。と言われています。

言語化情報ばかりに頼って情報の大半を取り逃がしてしまうことなく、「非言語領域の情報」をどう取り入れるかが重要です。

 

直感を信じて行動から入っていくことは非合理的に思えますが、5%の言語化された意識より95%の無意識な潜在的情報に頼った方が理にかなっているとは思えませんか?