当たり前のことが当たり前でないのは如何なものか。

自分がこうはなりたくないと思っているにも関わらず、そうなってしまっている自分に驚くことはないだろうか?

こうなりたいと思っていても行動できていない自分に驚くことはないだろうか?

最近友人が終電を逃しうちに泊まりに来たときのこと。

駅まで迎えに行き、家についた時たまたま出てきた居住者の方に「こんばんは~」と顔を見ながら挨拶をした。

すると友人は、お前すげぇな。俺はすれ違っても会釈するぐらいしかできないよ。

 

昨日は友人の結婚式帰りに電車に乗っていると、目の前に女性二人が立ちながら楽しそうに会話をしていた。

途中駅に着くと逆側の席とこっち側の僕の隣の席が空いた。

2人は別々に座ったので向こう側に座った人に席替わりましょうか?と言って席替えをした。

すると、2人がすごい良い人だね。という。

 

この2つの出来事はなんだか違和感をすごい感じた。

自分がされて嬉しいと思うことを当たり前にやっただけなのに、何がすごいんだろう?

良い人でもなんでもない。普通だ。当たり前だ。

 

とは言うものの、昔の自分も当たり前にやるべきことを当たり前に出来なかった。

席を譲るのも、挨拶するのもろくに出来なかった。

だから気持ちはよくわかる。

 

昔の言葉に、こんな諺がある。

義を見てせざるは勇無きなり

意味は、正義が何かを知りながら、それをしないということは勇気が無いことだ。

 

みんな知っているはず。

席を譲りあうことは相手にとっても心地の良いことだ。

あいさつをすることは相手にとっても心地の良いことだ。

知りながらできないのは単に勇気のない弱虫ということだ。

 

挨拶ができない自分、気が利かない自分、思いやりのない自分を想像した時、やっぱりそうはなりたくないと思うはず。

「悪い親も良い子を望む」という諺があるが、良い子を望む前に良い親にならなければそもそも枝葉末節な考えだ。

 

もうひとつ諺。

提灯を借りた恩は知れども天道の恩は忘れる

闇夜で借りた提灯のありがたみは忘れないが、同じく光を与えてくれる太陽の恵みの恩は忘れがちだということ。

 

逆説を言うようだけれど太陽の恵みを忘れるぐらい挨拶や日常の思いやりなど、当たり前のことであっていいはず。

 

己の欲せざる所人に施す事なかれ

孔子曰く、人にされたくない事は、自分から人にするべきでないと説いている。

これも逆を言えば自分がされて嬉しいことは、自分から進んで人にすべきだということの裏返し。

 

望むのであれば己を振り返り、羨むのであれば己を改めるべし。



 



▼合わせて読みたい関連記事


  1. コメントはまだありません。

  1. トラックバックはまだありません。