七夕と願い事。「いつか」はいつまでも来ない。

今日は七夕。

↑大好きな浅草寺裏の柳通り(笹がないので柳にお祈り?)

願い事をすることは極力しないようにしている。

「いつか○○になれますように。」

そんな軽い気持ちでの願い事が叶ったという話を聞かないし、うちの社長も神様、仏様の前ではお願いではなく、感謝をするんだと言っていた。

普段感謝もされないのにこういう時だけ一方的に願いを言うなんて勝手だ!というのが社長の見解らしい。

そんなことを考えながらいつもどおり浅草寺脇の帰り道を歩いていると、自然と足が本堂へ向かっていた。

人の気配のない夜の浅草寺は静寂で、目を閉じると風の心地よい音だけが聴こえてくる。

もう自分もいい大人だとつくづく思う。

 

「いつかは何かをやりたい。」そう思いながら過ごしてきた社会人生活。

決して悪いものではなかったなと思う。

 

一時の後悔が一生の後悔にならないよう、今日は久しくしていないお願い事をしてみた。

来年は自分にとって新しい人生にしようと前から思っている。

「いつか○○になれますように」ではなく、「いつまでに○○をやる」に願い事も変わっていた。

 

いつかやりたい。いつかやろう。

そう思いながら歳を食う日々はやるせないだけだ。

「いつか」はいつまでも来ないことを誰もが知っているのに、この言葉を使う。

それは相手へだけでなく、自分に対してもそうだ。

 

いつかやる。いつかやってやる。

その情熱は歳を重ねるごとに変化する。

言い訳という形で、いつのまにか「仕方ない」に置き換わる。

無理に自分を納得させようと、できない理由を棚に上げる。

 

「いつか」はあっという間に過ぎてしまう。

一時の後悔が永遠の後悔にならないように。時間を粗末にしないように。

 

——-

柳に願い事とはアンチなことと思いつつ、敬意を払いスケボーで疾走してみた。

 



 



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