支えあい、助け合いの精神は万国共通

未曾有の災難が日本を襲いました。

被害の大きさは言うまでもなく、甚大です。

それ程大きな影響を受けていない自分でさえ心に受けた衝撃は言葉で表せません。

この国難とも言える大きな試練は人の心にも経済にも大きな打撃を与えるでしょうけれど、

きっとそれ以上に強い心と国になって、再生されると確信してます。

どうか一日も早く復興・復旧はもとより、被災者の普段の生活が取り戻されることを願うばかりです。

 

そんな中、違う視点で感じることがいくつかあります。

 

ひとつは「情報」

すべてのチャンネルが悲惨な状況を伝えるニュースばかりである一方、

TwitterやFacebook上では支えあいの言葉や有用な情報が行き交い、

真の情報インフラになった一面を垣間見ました。

これは世界に誇るべき事例であり、情報の真意を呈したものだと思います。

 

ひとつは「民族性」

この状況下で暴動の話は一切聞きません。聞けて買いだめやガソリンの問題ぐらいで、それさえも奪い合いでなく、しっかりと順番を待って尊重しあってます。

海外から見るとそれは不思議な光景とも言われているぐらい、民族性が高いと言えます。

そういう尊重し合える人情豊かな日本はやっぱり素晴らしいと感じますし誇らしいです。

 

ひとつは「精神」

今日の災難の背景で支えあいの精神、助け合いの精神を本当に感じます。

普段はあまり表には出にくいものですが、このような災難時に多くの人が自分にできることを考え、

アクションを起こし、たとえできることは少なくとも助け、支えあおうとする精神は本当に美しいことです。

こういった目に見える精神が日常で当たり前にできたら、どんなにHAPPYなことか考えさせられます。

AC JAPANのCMをよく目にしますが、改めてちゃんと見ると良いことを表現してます。

「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える。思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える。」

見えない善よりも見える偽善の方が僕はよっぽどカッコイイと感じます。

どんなに壮大で1000人に喜ばれるようなビジョンを語っていたとしても、

目の前で困っている人を素通りできてしまう人を尊敬することは僕にはできません。

例えば、言葉が通じないからといって地下鉄で路線図広げてあからさまに困っている人に声をかけないのはどうなのでしょうか。

国境があるように、精神にまで境目を作る必要はありません。

国内外関係なく多くの人が支援金やエールを送ってくれています。

そこに理由がありますか?

国境も言葉も関係なく、ひとつの精神で行動しているのではないでしょうか。

一時の精神ではなく、継続的に、日常的に、そんなHAPPYな精神を持ち続けたいですね。

今回の災難を乗り越え、より良い日本となることを誰しもが願っていることだと思いますし、

そうならなければいけないとさえ思います。

 

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といっても大した金額ではありませんが。。。

1万円越えると引き出せるので、明日には手続きると思います。



 



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