アーカイブ : 2010年 5月

不幸になる人と幸せになる人のたった一つの違い

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聞けば単純ですが、ここに気づける人はそういないと思います。

そして知ったところでできない人がほとんどだと思います。

逆に知らなくても幸せな人は実践しています。

なので知らなくてもいいですが、知っておいて損するものでもないのでお教えします。


想像してみてください。

もし仕事で相性の悪い同僚や部下、上司と楽しく仕事ができたらどうですか?

想像するだけで幸せなことですよね。

もし今付き合っている人をもっと好きになることができたらどうですか?

これもまたとても幸せなことですよね。

そう思っていただけたのなら、是非実践してください。

結論からいうと発する言葉で全てが変わります。

言葉の力というのは水と一緒です。

命を救う聖水ともなれば、人をも飲み込む脅威にだってなります。

言葉一つでどちらにもなるということをしっかりと頭に刻み込んでください。


話は長くなりますが、僕の昔話をします。

高校生の時、人を殴り鼻をへし折ってやったことがあります。

とんでもない悪ガキでしょっちゅうケンカをしていました。

ふとその原因はなんだったかなと思い出すと、ささいな「悪口」が起因だったんです。

たちが悪いのはそのささいな「悪口」が人を介し風評となって、多くの人を巻き込んで大きなものになってしまったことなんです。

最終的に彼とはとても仲良くなりましたがそうなるのに2年間かかりました。


話を戻しますが、これが言葉の「脅威」です。

これは極端な例えでしたが、ささいな悪口でさえ、人を殴るほどの事態になるんです。

不思議なのは最終的に仲良くなったという事実ですね。

心底大嫌いだと思った相手でさえ仲良くなれるんです。

仲良くなれたのも、言葉の力です。

意外とあいつ良い奴っぽいよ。

というような言葉の伝播から徐々にしがらみが消えていきました。

高校3年のときに一緒のクラスになり、自然とすぐに仲良くなれたのは、

その言葉の伝播が互いにあったからだと思います。

ここで伝えたいのは、どんな相手であっても嫌いにもなることもできれば仲良くなることもできるということです。

その原理原則として「言葉」というのが中心にあるというだけです。

もっと噛み砕きましょう。

悪いことを言うと「悪く」見えます。

良いことを言うと「良く」見えます。

それが伝播していけばいくほど大きくなります。

悪いことを言えばそれが伝播して、もっと悪く見えてしまうかと思えば、

逆に良いことを言えば、伝播して、もっと良く見えてくるもんなんです。

ここで負のスパイラル正のスパイラルの二つに別れます。


どっちがいいですか?

好きな人といるのと嫌いな人といるのと。

好きな会社に勤めるのと嫌いな会社に勤めるのと。

好きな国に住むのと嫌いな国に住むのと。


相性の悪い人、嫌いな人はやっぱりいます。

心の中で、なんだこいつ。って思うこともあります。

人でなくても、会社や社会、国なんかに対しても同様です。

それを口に出したら最後です。

即効で負のスパイラルに陥ります。

その結末は前述の通り良い結果になるわけないですよね。

そうなりたくないのであれば、こうしてください。

良いところを見つける努力をして、それを伝播してください。

○○さんってどうなの??って聞かれたらすかさず、その人の良いところを教えてあげてください。

これをやったら即効で正のスパイラルに入ります。

本当にビックリしますよ!

僕も相性の悪いと思っていた人がいましたが、これをやるとまず、その人に対して愛着が湧いてきます。

しまいには他人にその人の悪口を言われると腹が立つんです。

逆にその人が評価なんかされたときには自分のことのように嬉しくなるんです。

まさしくそれが今の会社のチームメンバーです。

これはキレイごとじゃなくて、もしメンバーが会社を辞めるなんて言ったら涙が出ると思います。

以前の記事にも書きましたが、部下が表彰されたときにも涙が出たんです。


人の悪いところを見だしたらキリがありません。

逆に良いところを見だしてもキリがないということを知りましょう。

どっちを見るかはあなた次第です。

僕の目にはたまたま、人やモノの良いところばかりが目につきやすいようです。

昔は嫌いなとこばかりしか見えませんでしたが、その経験が今につながったと考えれば儲けもんです。


もう少し踏み込んだお話をします。

僕は親に愛されてます。

学校に何度となく呼び出され、先生に頭を下げた母親を見てきましたが、

それでも見放すこともなく、愛してくれています。

ほとんどの家庭は一緒だと思います。

どんなバカ息子でも愛してくれるんです。

それは、小さい頃に「良い言葉」をかけ続けていたからだと思います。

もちろんそれだけの要因ではないということは前提でありますが。

 

自分の子供は他人の子供より可愛く見えるとよく言いますね。

きっと、かわいいねぇ。よくできたねぇ。良い子だねぇ。みたいな言葉を発しているはずです。

良い ことを発言すればするほど愛着も湧くものです。

どんな出来の悪い子でも親は自分の子が一番なのは、きっとそういうこと も起因しているんだと思います。

もし、自分の子供に悪口を言っていたらどうですか?

もしかしたら最悪、虐待ということにつながるかもしれません。


人は自分に嘘をつけません。

だからこそ、良い言葉を発してください。

言えば言っただけ、そう思えるように必ずなります。

ただ、言いすぎも良くありません。

その人やモノに依存しすぎちゃうからです。

恋愛も一緒ですよね。愛しすぎには注意が必要です。


さて、身近なところで会社をイメージしましょう。

安月給だし、残業で帰りは遅いし最低の会社だ!・・・という人と、

たくさん仕事を与えてくれて色んな経験ができる最高の会社だ!・・・という人と、

どっちが楽しんでいると思いますか?

同じ環境にいたとしても、人の感覚というのは違うし、どういう感覚を持つかも自分次第です。


ちょっと今回のこととはニュアンスが違いますが、これもまた感慨深い話なので紹介します。

ハーバード大学出のエリートが小さな港町に来ました。

のんびりと漁をして暮らしていたとある漁師に、君の漁の技術と僕の頭脳があれば、莫大な金儲けができると持ちかけました。

漁師は最初拒みましたが、ニューヨークの中心で有り余るお金を手にできるんだぞ!という彼の説得にあれよあれよと乗せられて、結局断ることができませんでした。

20年後、働きに働いた元漁師は確かに大金を手にしました。

そして彼は聞きました。

これから俺はどうすればいいんだい?

ハーバード出のエリートは言いました。

お金もあるし、時間もできたんだから故郷にでも帰って好きな漁でもしながらのんびり暮らせば良いじゃないか。

 

このことからも人の幸せを自分の価値観で勝手に決め付けてはいけないということが分かります。

貧しい国や村や町が不幸だと決め付けるのもよくありません。

当人が現状に幸せを感じているのであればそれは誰がどう思おうと幸せなんです。

主観でものごと判断するのは単なる傲慢です。

どんな環境であったとしても、はたまた同じ環境であったとしても

考え方や感覚ひとつで幸せにも不幸せにもなるということです。

ただ共通しているのはそこに「言葉」ということが大きく結びついているということ。

どうせなら幸せになるような、楽しくなるような言葉を使いましょう。

合わせ鏡のように投げかけた言葉はきっと自分に返ってきます。

悪口やネガティブな発言は自分を苦しめ、不幸にするだけです。


自分が25年振り返って発見した、最高のライフハック術。お試しあれ。



幹部会議を終えてみて

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4月から大きく組織が変わり、光栄にも幹部候補としてのポジションを与えていただきました。

いつの間にか8名を抱えるユニットの長として1ヶ月が経ち、試行錯誤の毎日を過ごしています。

会社としてかなり権限委譲をした体制であるため決定権がある反面、「責任」というものも明確で、言い訳はできません。

ある意味、本当の自分の実力が結果として見えてくるという良い機会でもあります。

はっきり言って、そこに恐怖や不安もあります。

でもその恐怖や不安が良いプレッシャーとなって、考える機会と学ぶ機会とを与えてくれているのも事実です。

まあ色々と会社も自分も右往左往している中ですが、

今日は幹部会議の名の下、土曜なので会社自体は休みですが、幹部と幹部候補生が集い、今後の方向性や課題などポジティブな会議が喧々諤々と朝から夕方まで行なわれました。

個人的にこの会議の意味合いは会社にとって非常に大きな進歩だと思っています。

それは、何故か。

この会議自体がトップダウンの考えでなく、ボトムアップの考えの会議だからです。

僕自身が思いっきり会社に対してもビジョンや方向性を語れる(主張できる)場だからです。

社長はもちろん、幹部全員が揃うの場なので、即時決まって行くスピード感がたまらないですね。

それぞれの主張を聞くだけでも勉強になるし、刺激になります。

やっぱ、幹部や幹部候補だけあってみんな言うことは立派です。

発言一つ、言葉一つとっても地頭の良さが物凄く分かります。

この中に自分がいるのが楽しくてしょうがないです。

なんせ、15人の幹部の中、20代は自分だけだし、はたから見たらクソ生意気なガキがほざいているようににしか見えませんからね。

それを認めてくれる今の会社には本当に感謝です。

自分はこの中でも圧倒的に最年少でありますが、気後れだけはしないように心がけてます。

頭が悪く、記憶力も極めてない、経験値も浅い自分が勝負できるところと言えば、

独創性だったり、熱意だったり、気迫ぐらいしかないので、そこだけはぶれない様に軸を持っていれば、気後れすることもなく、堂々と対等に主張できます。

年齢は関係ないし、経験も関係ないし、学力も関係ありません。

そういう時代だし、そもそもそれが本来のあるべき姿だと僕は思ってます。

必要なのは、

主体的に考え続けられる力だと思ってます。

うちの社長は似たような表現で当事者意識と表現してましたね。

正解も答えも保障もなく、日々変化する世の中において、常に考え続けなければついていけません。

考えるだけでなく、具体的にどうするのか自分がそこの核とならなくては流されてしまうだけになります。

流れは自ら生み出すものです。

流れを早くしたいなら波を起こさなければいけません。

言うは簡単です。

○○をすべきだと思います。○○は間違ってると思います。こうした方がいいと思います。

大嫌いな言葉ですね。これらは傍観者が言う責任を持たない卑怯な発言です。

○○をやります。

これが当事者の言うべき責任ある発言です。

発言を観察すれば自分が当事者か傍観者かが分かります。

もし傍観者的な発言をしているようであれば発言の最後の部分を意識的に変えるようにしてみるといいかもしれません。

 



ばあちゃんからの言葉。タンポポンのように。

タンポポ

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あと何回会えるんだろう。

もしかしたら手で数えられるぐらいしかもう会わないかもしれないって考えると会いに行けるときにはできるだけ行こうという気になります。

それが自分にできる唯一の感謝を表す手段だし、孝行だと思います。

ふとそう思うようになり、久しぶりにじいちゃんとばあちゃんに会いに行ってきました。

じいちゃんは今、喉頭がんで闘病中ですが思ってたより元気で安心しました。

気持ちながら御見舞金を用意しておいたので渡すと威厳としていたじいちゃんが素直にありがとうって感謝してくれます。

じいちゃんにありがとうなんて言われたのは初めてです。

素直に嬉しかったし、ちょっとしたことでも感謝の気持ちを表現することは大切だなぁと改めて感じます。

感謝だとか褒めることだとか照れくさくてできない人も多いようですが、思ってるだけでは何も伝わりません。

相手が喜ぶことであれば何でもやったらいいんですね。

感謝し、感謝される関係に不幸せなことなんて何もないんですから。


じいちゃんの隣にはいつも明るく元気なばあちゃんがいます。

ばあちゃんはいつだって笑顔です。

いつも感謝の気持ちを忘れないし、みんなの幸せをいつも願ってくれています。

自分にも素直に生きているから、偽りもなにもありません。

そんな自慢のばあちゃんの言葉は深みがあります。

今日話してくれたことで、印象に残った言葉です。

一日を笑って過ごすのも怒って過ごすのも同じ一日。 笑って過ごした方がいいでしょ。

どこにでもきれいに咲くタンポポのようになりなさい。

タンポポは道路の隙間でもきれいに咲くことができるんだよ。

ばあちゃんの言葉を聞くと心が洗われます。

タンポポのように、どんな環境でも、どんな状況でも自分を持っていれば輝くことができるということだと思います。

それともう一つ。

花はね、愛情と手をかければきれいに咲いてくれる。

人も一緒だよ。本気で愛しなさい。

人だけじゃなく、自分の行動や考えは映し鏡だと思います。

自分の普段の行いは、必ず自分に帰ってきます。

悪いことをすればそれなりの制裁が。

良いことをすればそれなりの恩返しが。

愛すれば、注いだだけの愛情が。

ただ、見返りを求めてるようであれば、それは逆に怒りを生んでしまいます。

これだけ、してやったのにあいつは何なんだ!・・・

みたいな感じで。

そういえば怒りについて書かれた本がなかなか勉強になったので紹介します。

善意は偽善とは違います。偽善は自我でしかありません。

こんだけ良いことをしている俺は偉い!なんて考えの人に恩返しをしたいとは思いませんよね。

何事も謙虚でなくてはいけないとばあちゃんは教えてくれます。

人生を自分の3倍も生きている人の言うことは重みが違います。

こんな人が身近にいるのだから、もっと教えてもらえるうちに色々と聞いておかないと。

まぁ何よりも自分と話しているときのばあちゃんの笑顔を見れることが嬉しいですね。

じいちゃん、ばあちゃんまだまだ元気でいてね。