アーカイブ : 2009年 12月

「花畑牧場」は、ブランド?流行語?

今日は幕張メッセにジャンプフェスタに行ってきました。

三ヶ月間、時には徹夜で彼女が携わった仕事がどんなものか見たかったからです。

会場内に入ると、スタッフや出展者が首にカードをぶら下げていました。

これは彼女がデザインしたもの。

数百人の人たちがそれを身に付けていました。

彼女の頑張りが形で見れたのでとりあえず満足。

なんか自分のことのように嬉しかったですね。

 

さて、長い前置きになりましたが、頑張った彼女にご褒美あげようと考えて、銀座にある花畑牧場に生キャラメルを買いに行くことにしました。

なぜ花畑牧場にしようとしたかというと、深夜の番組のなんでもランキングで評価があまりにも良すぎたので、それが気になったからです。

一応説明しておくと、花畑牧場はタレントの田中義剛さんが経営する生キャラメルを主軸とした北海道ブランド。

最近では都内に進出し知名度を上げ、さらにはコンビニでも生キャラメルアイスを展開するなど凄まじいスピードで突き進んでます。

今回、花畑牧場で商品を買ってみてふと考えてしまいました。

数年後このブランドは定着するんだろうか。。。

感覚的に違和感を感じました。

まず初めて僕が花畑牧場の商品を買ったのは今年の3月の北海道。

北海道旅行の帰りに一際行列のできているお店がありました。

それが花畑牧場直営のショップだったわけです。

そのとき買って、会社の人たちに配ったときの優越感。

みんなに「あの噂の北海道でしか買えない花畑牧場!?一度食べてみたかったんだよね。」

北海道行ったらまた買おうと思いました。

でも今、北海道行っても買わないでしょう。

それは単純で、都内で買えてしまうからです。

しかも今はコンビニでも生キャラメルアイス(380円)が買えます。

花畑牧場/生キャラメルアイス

実際に買って食べてみました。

確かにうまい。

一気に花畑牧場は全国区。

圧倒的に知名度を上げ、今はきっとかなり売れてることでしょう。

さて、僕が違和感を感じたのは、もう北海道に行っても買わない。と思ってしまったことです。

東京に進出した時点で、北海道ブランドの希少価値が消えたからです。

北海道でしか買えないからお土産で買う。

誰かが北海道に行ったときにはお土産を頼む。

このサイクルこそが花畑牧場のブランド価値だったのではないでしょうか。

北海道には全国区のブランド銘菓があります。

六花亭・白い恋人といえば北海道。

北海道といえば、六花亭・白い恋人。

この方程式を守ってきたからこそ、長年に渡り愛されるのでしょう。

 

さて、花畑牧場も2つのブランドと変わりないと思われるかもしれませんが、

大きく違う点があります。

それがさっきから出てきているキーワード「ブランド」です。

よく、知名度とブランド力が同義として捉えることがありますが、異なる場合があります。

知名度であれば既に花畑牧場の方が上だと思います。

ただ、その知名度の大半は流行りを含んでしまっています。

ブランド力は知名度と同義ではありません。

ブランド力は定着力と同義だと思います。

こんな名言があります。

Great brands aren’t built on ads or promotions.
(偉大なブランドは広告や販促に頼っていない。)
スターバックス会長:ハワードシュルツ

無理に知名度を上げ、コモディティ化していくとブランド力は落ちます。

既に生キャラメルというジャンルは模倣品や類似品が数多く出てきてます。

その中で、味、形も変わりがないのであれば、当然、消費者は安い方へ流れます。

「北海道限定」というブランド力を失った花畑牧場は、流行語になりかけています。

流行というのは必ず廃れます。

ひとつ生きる道があるとすれば、定着をさせるしかありません。

定着させるのには2つの方法があると思います。

高級化、低価格化。

おそらく最適な選択は低価格化でしょう。※最善の選択ではないかもしれません。

今の時代高級化は至難の業です。

歴史や伝統のない流行ブランドがルイ・ヴィトンを目指すのと同じぐらい無謀なチャレンジです。

であれば、ユニクロを目指すのが道理でしょう。

ただ、ユニクロになるのも至難の業です。

低価格ながら品質はかなり高く、オリジナリティと機能、デザインを兼ね備えてます。

花畑牧場は品質、味は抜群です。その部分では既にハードルをクリアしているのであとは価格だけです。

価格さえ市場のニーズにマッチすればきっと定着するはずです。

流行語で終わるか、定番という名のブランドを築くか。

どちらも外れではありません。

ただ、偉大なブランドは記憶に残ります。

流行りは記憶の隅に追いやられます。

あぁ、そんなブランドもあったな・・・・。

それじゃあ何か寂しいですよね。

できれば花畑牧場にはブランドとして、前者であって欲しいです。

もしくは再度、北海道ブランドとして回帰するのも良いでしょう。

数年後、どうなっているか。このブランドの行方は自分にとっても勉強になります。

注視して見ていこうと思います。



ネガティブ思考は本当に不要か?

僕の知っている優秀な人の共通点はみんな例外なくポジティブ思考です。

ネガティブ思考を人前に出す人はいません。

でもこういう人たちは実は臆病だったり心配性だったりします。

うちの社長なんかはまさしくこのタイプですね。


だから第三者に意見を求めます。

自分自身がネガティブな思考をしないからこそ、ネガティブな意見を求めます。

ネガティブ思考の中には失敗するかもしれないリスク要因があるからです。

そのリスク要因を潰せば、心配事はなくなり成功する可能性は高まります。

そういった意味でもネガティブ思考は必ず必要なのです。

成功できない人の共通点はネガティブ思考を無視する人だと思います。

ネガティブ要素も無理やりポジティブに考えようとさえします。

例えばこんな感じ。

「この商品、機能はいいけど見栄えがダサいよね。でも逆を言えば個性的だよな。。。」

「ダサい」を無理やり「個性的」に置き換えてしまっています。こんな具合に何でも無理やりポジティブにマイナスのものもプラスに強制変換するわけです。

ネガティブ要素を認めようとしない。というよりもネガティブを受け入れることができない体質といった方が近いかもしれません。

逆にネガティブ思考の人はどうしてもポジティブ思考を受け入れることができず、何でも否定してしまいます。

分かっていても改善するのは難しいと思います。

多分、これ自体は性格というか生理的なものだからです。

僕自身、今だからこそネガティブ志向を大歓迎できるようになりましたが、昔は生理的にネガティブ志向を受け付けてませんでした。

ポジティブ思考とネガティブ思考は互いに本当に意識しない限り、自然とは受け入れられないものなんだと思います。

自然には受け入れられませんが、意識すれば受け入れることができます。

こんな思考回路にすると早いかと思います。

■ポジティブ思考な人
「この商品、見栄えがダサいよね。でも逆を言えば個性的。この個性を活かしつつもっと格好良くするにはどうすればいいだろう。

■ネガティブ思考な人
「この商品、見栄えがダサいよね。何でダサいんだろう。

ポジティブな人は想像力が優れている場合が多いです。その想像力をさらに働かせるような問いを自分自身に与えると良い形でネガティブ要因をプラスに変換できます。

ネガティブな人は要因追求(深堀)をする能力に長けている場合が多いです。であればそのマイナス要因がなんなのかを追求すれば良い答えが見つかるはずです。

結局何をすれば良いかというと、否定のあとも肯定のあとも問いかける癖をつけることです。

何故だろう?どうすればいいだろう? という問いはネガティブな要素もポジティブな要素も全て受け入れられます。

第三者の意見や、違った角度の視点を求めた問いだからです。

文頭の内容に戻りますが、できる人に共通していること。

根本がポジティブ思考であること。そして臆病・心配性であること。

この臆病・心配性こそがすべての答えに対して「何故だろう?どうすればいいだろう?」の問いとなって表にでてきます。

ポジティブ思考はとても良いことです。仕事だけでなく人生を幸せにする能力だとも思います。

ただ、何でもかしこもポジティブに考えれば良いというものでもありません。

例えば、奥さんの料理が不味くてもポジティブに考えて、おいしい、おいしいと言い続けるのは疲れますね。

しかし、ネガティブに不味いといっては相手の機嫌を損ねますね。

例に倣い、根本はポジティブにネガティブなものも受け入れるということを「伝える」に変換して表現すると、

「今日のご飯も相変わらずおいしいね(本当は不味い)。そういえば最近TVで味付けに●●を入れるとおいしくなるって言ってたんだけど、どう思う?今度やってみたらさらに美味しくなるかもね!」

みたいなノリになるかな

ちょっと微妙な例えですが、ポジティブとネガティブを組み合わせて伝えてます。

ついでに「伝える」というキーワードが出てるので参考までに上の例文には2つ「伝える」ためのポイントを入れてます。

ひとつは強制をしていないということと、第三者の意見を入れているということです。

例えば、こうした方がいいよ!というと強制になってしまいます。また、第三者とは今回の例では「TV」がそれにあたります。もしTVではなく、「僕が思うにこうした方がいいんじゃないかな。」みたいな「自論」は見下した感じになってしまいます。

伝え方一つで相手に伝わるニュアンスが全く違うので、どうせ同じことを伝えるなら、快く受け入れてもらえるようにすると家庭も仕事もきっとうまくと思います。

と言いつつも今回の内容も「自論」なわけで、「自論」ばかり考えてる自分はどうかと思いますね(笑)



変化は前向きな能動から

最近モチベーションが上がる出来事があった。

社内の別事業部の人が何でもいいから手伝わせて下さいと言ってきた。

全社売上で見た時、うちの事業部が花形なのに対し、その人の事業部は真逆。

その人はきっと自分自身の存在意義を見出せないでいたと思う。

会社の足を引っ張っていると思ってしまっているかもしれない。

そんな環境の中で彼は、僕のところに勇気を持って来たんだと思う。

うちの会社にもベンチャー精神を持った人がいたんだと、とても嬉しかった。

もちろん僕の答えは、「喜んで。」の一言。 事業部は違えど、心はその瞬間から僕のチームの一員。 彼の熱意はきっとチームに良い影響を与えてくれる。

これでかなり自分の思い描く理想系に近いチームになった。

チームというよりもはやマスターマインドに近いと思う。

 

「マスターマインド」とは、二人以上の、統一した願望や目標を持った人間の集まりのことであり、また、それらの人々の間で行き交う、波長の合った思考のバイブレーションのこと。

 

きっとこの理想系に近い人員が集まって3ヶ月もすれば、チーム全員大きく成長する。

そして彼自身も自分の存在意義を見出せると思う。

すでに熱意と勇気と能動を持っている彼であれば、会社の中心メンバーに成長する可能性もある。

成長は常に変化の繰り返し。

変化を望んだということは自分の成長を宣言するのと同義だと思う。

そしてその変化自体をもたらすのは、唯一、前向きな能動からしか得ることができない。

と思う。

それと変化をはき違える人がいる。

受動的な変化は本当の変化じゃない。

それは意図的に変化させられてしまっているだけ。

信念を持たなければ本当の変化を経験することはできないことを知っておくといいと思う。