Live to work, or work to live ?

働くために生きるか?生きるために働くか?

ただ単語を並び替えただけなのに、意味が大きく変わってくる。

 

単語を並び替えるだけで意味が変わるように、少し思考を変えることで180°世界が変わることがある。

例えばコップの水の例がよく取り上げられるが、水がコップ半分入っているのを見て「水が半分も入っている」と捉えるか「水が半分しか入っていない」と捉えるかでまるっきり感覚が異なる。

目の当たりにしている事実は同じなのに不思議なものだ。

 

日本人はkaroshi(過労死)という言葉を世界に伝搬させてしまうほどのLive to workな社会かもしれない。

とはいえ、日本はどう考えても恵まれている。

世界には命がけで働いてもごくわずかな収入しか入らいない人が多く存在するという事を忘れてはいけない。

 

小学校時代の教科書にスリランカで鉛筆の黒鉛を命がけで採掘しているポディマハッタヤさんという人の名前が今でも記憶に残っている。

たった一本の鉛筆の向こう側には色んな人が生活し、食事をし、家族がいる。

そう想像したら鉛筆へのありがたみが変わってこないだろうか?

鉛筆だけじゃない、日常の電気、水道、食物、ありとあらゆる恵み。全てが繋がっている。

 

そう思うと仕事をする(Work)ということは生きる(Live)だけでなく繋がり(Link)のように思う。

仕事と生きることは密接な関係にあるということは誰も疑いの余地はない。

 

捉え方は人によって自由だけれど、もし捉え方で人生が大きく変わるのであれば、私はWork to linkでありたいと思う。

繋がるために仕事をする。

きれいごとでしかないかもしれないが、仕事を通してできることは生きることだけじゃない。

誰かを救うこともできれば、楽しくすることもできる。

全ては自分のWorkのあり方次第だ。

 

—–

最後に、このLife Style Planは勝手ながら一旦休止致します。(どうでもいいことですがw)

多くのアクセスを今でもいただけていることに大変嬉しく思ってます。

また違った形(別ドメイン)でブログはリスタートする予定ですので、またきっとどこかで見て頂ける機会があるかもしれません。

購読いただいた方、コメントいただいた方、少しでも自分のアウトプットで何かしらの思考に良い影響を与えることが出来ていたとしたらこんな幸せなことはありません。

このブログを通して私自身が学んだ3つことを最後に紹介させて下さい。

 

継続は力なり。

使い古されたフレーズですが、継続することで得られたものは自信です。

昔の記事を読み返せば自分がどういう思考でどういうアウトプットしていたか恥ずかしい記事もたくさんありますが、着実に成長を感じます。

やり続けることこそ、地道ではありますが成長への近道だということを知りました。

思考で人は変わる。

本を読めば先人の思考のほんの一部を垣間見ることができます。

偉人と呼ばれる人たちはどういう視点で物事を考えていたのか、どうしてその決断に至ったのか、どうすれば同じ答えが出せるか、そう考えると自分の思考方法が少しずつ変化します。

おこがましいですが偉人と同じ視点で物事を見極めることが出来るかもしれません。

行動は奇跡を呼ぶ。

本を読もうが、インプットしようが行動がなければ何も考えてない人とと同じです。

行動すれば奇跡が起こるのではなく、行動し続けることで奇跡的な事象に出くわす機会が増えるということ。

当人にとっては決して奇跡ではなく必然であり、行動しない他人から見たらそれが奇跡に見えるだけなのです。

 

人生はデザインです。

死ぬまでの一生をどうデザインして生きていきますか?

そのデザインはクールですか?エキサイティングですか?それともハートフルですか?

 

デザインのない人生は落書きの人生を歩むことになってしまいかねません。

最高にクールでハッピーな人生を描くために、思考を変え、行動し、継続して行きましょう。

 

あざ~した! by Satoshi Masuda


あなたはダメな部下、使えない部下を育てられますか?

部下を育てるということは楽なことではありません。

デキる部下であれば放っておいても問題無いですが、知識も経験も何もない部下だとしたらどうでしょうか?

 

これからお伝えすることはスキル本やノウハウ本に書いてあるような部下の育て方ではありません。

 十人十色の社会で共通した育て方、共通の教え方などありえないからです。

教え方は個々に工夫されればよくて、重要なのは「デキる部下」の定義です。

 

部下を育てようとして誤りがちなのが、デキる部下とは何かを分かっていないのに育てようとすることです。

例えるならば、それは最高の家を建てよう!と言って、最高の家が何なのかを建築士に伝えもせずに作るようなものです。

まず「最高の家」とは何なのかを定義することからはじめなければ、決して最高の家は完成しないのです。

 

さて、デキる部下とはどんな部下のことを言うのでしょうか?

これは業界や業種によって求められる要素が異なってきますが、普遍的に共通することを書き出してみます。

上記にそれぞれの違いを挙げましたが、デキる部下とデキない部下の本質的な違いは何なのでしょうか?

あたり前のことと言ってしまえば単純なのですが、まずは「主体的」であり、「前向き」であり、「上昇志向」であることです。

そして絶対的に違うのポイントが、「自己中心的」でないことです。

相手の立場や自分の置かれた状況を客観視でき、最良の選択、決断、行動が起こせることです。

 

ここまで人間として出来ていれば、スキルなどは別として、仕事は必ずデキます。

そして近い将来、リーダーやマネジャーに昇進する逸材となるはずです。

 

デキる部下の定義を理解できたところで、このような部下に育て上げられますか?

最初からデキる部下などそういません。

 

部下をこれから持つ、あるいは既に持たれている方に求められるのは、デキる部下にするためのコーチングです。

手取り足取り教えることではなく、上記で定義しているような思考や行動にうまく導くことです。

 

例えば、「○○商事の○○さんからクレームが入ったのですがどうすれば良いですか?」と部下から相談があったとしましょう。

間違ってもあなたは「あれがこうで、こうだから、こうしなさい。」と言ってはいけません。

 

前述の「思考や行動に導くこと」が大事なのですから、まずはこう聞き直しましょう?

「○○商事の○○さんからクレームが入ったんだね?君ならどう対処する?」

 

答えが出ないとしても必ず質問しましょう。

これを繰り返せば自然と自ら考えるクセが定着します。

 

もし部下が、デキない部下の表にあるような発言した際には、とにかく聞き直して下さい。

 

「でも・・・・だと思います。」と言ってきたら、「確かにそれも一理あるね、もし(例えば)こうだとしたらどうだろう?」

「頑張ってみます。」と言ってきたら、「そうだね。頑張らないとだね。ところでやる?やらない?どっち?」

「一生懸命やってこの結果ならしょうがないですね。」と言ってきたら、「一生懸命やってこの結果なのは何故だと思う?」

 

いかがでしょうか?

最初からデキた部下だったら苦労しませんし、そもそもマネジャーなど不要になります。

マネジャーやリーダーが居る意味は、部下を良い方向へ導くことです。

それも強制的にでなく、無意識に自然の流れで。

初めて部下を持つ方、あるいは既に部下はいるけれど、なかなか成長してくれずに困っている方など、是非参考にしてみて下さい。

 

デキない部下を嘆く前に、自分自身がコーチングができているか確認しましょう。

デキない部下にデキない上司というレッテルを貼られるほど惨めなことはないですからねw


私には夢がない!

人に語れるほどの夢を持っているでしょうか?

私には今、夢がありません。

追い求めてもいません。でも私の夢は叶うと確信しています。

 

きっと矛盾に聞こえることでしょう。

夢がないのにどうやって夢が叶うのかと。

 

今、私は夢を持つための、あるいは叶えるための準備期間だと考えています。

今、夢がなくとも、いつか必然と偶然の中で夢を持ち、叶えるための準備をしている真っ最中だと。

 

本を開くと、目標や夢を持つことの大切さを説いたものがたくさんあります。

確かに大事です。夢がなければ叶いようがありません。

 

しかし、夢を持つことを目的にしてはいけないと思うのです。

例えば結婚したいという夢を描き、婚活をし、結婚した人がいます。

幸せ円満の人も入れば、新婚なのにもう別れたいという人までいます。

夢が叶ったのにこの有り様はなんとも不思議です。

 

結婚にフォーカスしましたが何事も夢の持ち方を誤ってはいけないと思うのです。

夢は無理に持つものでもなければ、周囲や環境に流されるものでもありません。

夢は自分の内から必然的に芽生え、偶然のもとで表に出てくるものです。

 

結婚も同様です。

結婚したいから相手を探すのではなく、素晴らしい相手がいるから結婚するものです。

結婚自体は単なる手段でしかありません。

 

きっとこの見解には反論も多いことでしょう。

素晴らしい相手がいないから探すしかないでしょと。

 

もし自身が誰からも羨まれるような人徳と人望があったとすれば、必然と偶然のもと素晴らしい人は必ず最良のタイミングで現れます。

相手を探すのではなく、自身が素晴らしい人に巡りあうための準備をすることが大事なのではないでしょうか?

夢を持ちたい、叶えたいのであれば、そのための準備が必要なのではないでしょうか?

 

夢を語るは簡単です。

ただそれは手段なだけで、婚活と同じような考え方になっては意味がありません。

 

もし今、夢がないことに焦りを感じているとしたら大間違いです。

夢は必然と偶然の中から最良のタイミングで訪れるものだと考えたら、今何をすべきなのでしょうか。

 

夢を焦りの中から無理くり想像することでしょうか?

夢を持つ、あるいは叶えるにふさわしい人として自身を磨くことでしょうか?